*本編前の過去編
*碇レンと二人の幼馴染(うちはイタチと惣流アスカ(♂))でスリーマンセル時代の日常風景
*シリアスほのぼの半々位
*三人とも自分の家に対して辛口です。
*時々木の葉にも辛辣です。
*レン達が中忍昇格試験を受ける直前の話
*イタチから見た碇親子と、レンが抱える葛藤と臆病さゆえの卑屈な結論について
*幼馴染sはお互いが好きだし大事ですけど、この時期はまだまだ上手くかみ合ってなくてすれ違ってました、と、そういう話(主にレンの卑屈さと臆病さの所為ですが)
御題配布サイト「age」(管理人吟さま) http://pick.xxxxxxxx.jp/からお借りした
「さるしばい家族の10題」 より、「いくつになっても駄目な人」
食い下がって見送りを申し出たは良いが、その後の会話の切欠がつかめず引きつる笑みを維持するのに精一杯なレンを、一瞬だけみやったゲンドウが口を開いた。
「・・・・・・髪が、伸びたな。」
「、え、あ、はい!」
緊張に身体を強張らせていたレンが、一瞬詰まってから、嬉しそうに華やいだ声で相槌を打った。父が、自分の変化について言及したのだ。些細な内容であってもやはり嬉しさを抑えきれずに笑みが深まる。折角の機会なのだから何か会話を、と焦燥すら感じていた内心が、現金なほどに浮き立った。
そういえば、”過去”で見かけた”父さん”と綾波との会話も、言葉が弾んでいた印象はないし、ネルフ内で副指令やなんかと歩く姿を見かけた範囲でも常に言葉少なに肯く程度の返答しかしていなかったようだから、これがゲンドウなりの会話なのだ、と必死に己を納得させていたのだが。
そうやって半ば無理矢理自分を誤魔化していたレンにとって、今のゲンドウの言葉は予想以上に嬉しかった。微かに頬を赤らめて肩にかかるくらいに伸びた髪に手をやろうとするレン。だが、そんな愛らしい少女の仕草は、次に落された父の言葉に凍りついた。
「身だしなみも整えられないほどに忙しかったのか。」
「え、」
「仮にも忍の端くれが、ずるずると髪を伸ばしっぱなしにするとはな。」
「あ、の、父上?」
「冬月に言っておく。」
愕然と顔を上げたレンを見下ろすゲンドウの視線は、伸びかけた髪を見ている。
確かにレンは未だに少女らしい装いに慣れていないため、他の少女達の様に華やかに髪を結ったりはしていない。だが、毎朝きちんと櫛で梳かして整えているし、毛先が乱れない程度に切りそろえたり位の手入れはしている。決してだらしなく伸ばしっぱなしにしているわけではない。なのに、ゲンドウはまるで忌々しい、とでも言うように伸びた髪を見やって理容師の手配をすると言いのこして歩みを再開する。
「(みっともなかった、かな。私には長い髪なんか似合わないから、中途半端な長さだとだらしなく見えた、とか?)」
父の背中を見ながらレンは混乱する。
ゲンドウがそんな事を言い出したのは何故なのかと、必死に理由を探そうとした。
もう碇レンとして生きた年数は二桁になろうとしているのに、未だに自分が女である実感が薄いという自覚があった。例えば、”シンジ”の時は無造作にもっても負担など感じなかった重量のある荷物がレンの腕には酷く重く感じるとか、アカデミー時代は目線が同じだった幼馴染と視線を合わせるには顔を上に向けなければならなくなっていることとかに一々ショックを受けてしまうとか、そんな事が多々あった。冷静に考えれば、女と男では肉体的な成長速度が違ってくるのが自然なことなのだから、と理解できる。それでも今の自分は”女”の体なのだと実感するのは難しくて。
未だにアスカ達と一緒に修行しても細いまま筋肉がつかない腕に苛苛したり、同じ量の訓練をしているのに体力差の違いから二人よりも早く息が上がってしまうとかそういう事が積み重なっていく度に、今の身体を疎ましく思ってしまう。ならばこの身体をもっと鍛えて二人のレベルに追いつかせればいいのだと限界を無視して無茶な修行を重ねて過労寸前で体調を崩しかけたのは一度や二度ではない。
幾ら今の自分の能力不足が腹立たしいといっても、そんな事で周りに負担を掛けたら本末転倒だ。わかっているのに、つい自制が効かずに同じ事を繰り返してしまう。
そんな自分を諌めるため、事ある毎に鏡を凝視しては、今の自分は「碇レン」という名前の女なのだと、体が女である以上幼馴染の少年達に追いつくのは簡単には叶わないことなのだと言い聞かせるのが最近の日課だった。無理に追いつこうとしても肉体がついていかずに挫折するだけだ。本気で追いつきたいなら、今の自分の肉体の限界を把握した上で、無理のないペースを掴まなければならないのだと鏡越しの自分に言い聞かせる習慣がついていた。そうして、今の「碇レン」の身体と”過去”の「シンジ」としての記憶を馴染ませようと四苦八苦していた。
だけどそれも中々上手くいかなくて、ならば見た目がもっと女らしい形になれば多少は自制できるのではと思いついた。つい”過去”の感覚で髪を短く切りそろえ、少年みたいな簡素な服を好んで身に着けていたけれど、だから「レン」と「シンジ」の違いが自覚しにくいのかも、と思ったのだ。
その時、自室の飾りだなに置いてあった、アスカとイタチが贈ってくれた髪飾りが目に入った。
二人の気持ちは嬉しいし、可愛らしい髪飾りは綺麗で見るのは好きだったが、それを身に着けるのはまだ抵抗があって、ずっと飾り棚に置かれたままになっていたのだ。髪飾りを手にとって、これが似合うような可愛らしい少女の装いをしてみれば、嫌でも自分が女であると実感できるのでは、と思った。だから手始めに、同級生の少女達がしていたように少しずつだが髪の手入れに力をいれてみたのだ。何時も無造作に縛っていた髪を、丁寧に梳り伸びる度に綺麗に整えてやっと肩先につく程度に伸びてきたところだった。
「(でもそんな付け焼刃程度じゃ、女の子らしく、なんて無理だった?
そもそも私にはやっぱり可愛らしい髪型なんか似合わない?
・・・長ければ皆可愛いわけでもないけど。綾波は髪が短くても綺麗で可愛かったし。
自己暗示だけじゃなくて、外見も揃えてみれば自制の切欠に位なるかと思ったんだけど。
そんな理由だから、女らしさなんて身につかないのかな。だから、只単に伸ばしっぱなしにしてるみたいに見えた?)」
そこまで考えるのは卑屈にすぎるだろうか。ゲンドウは単に、昔の癖で娘の世話を焼こうとしただけかもしれないのに。
まだ幼い頃は確かに一月に一度くらいの頻度で理容師を派遣してくれたり、世話役の家人の報告でか背が伸びたりするたびに新しい衣服を手配してくれたりと最低限の世話はしてくれていた。だから、例え会話が続かなくて気詰まりになってしまっても本宅には頻繁に帰宅しているのにレンの住む別宅には滅多に顔を出してくれなくても、娘に対する父親としての情は抱いてくれているのでは、と思っていた。交流がぎこちないのは、レンが”過去”を引きずって一線を引いてしまっている所為だと、ゲンドウの素っ気無さはそういう性分なのだと、誰に対しても態度が変わらないのだから別にレン個人を疎んでいるわけではないと、そう思って居たかった。
誰に対しても態度が変わらないという事はつまり、レンも他の人間達と同じ扱いと言う事だとは、思いたくなかった。
「え、と」
ぐるぐると脳裏を巡る推測に混乱して、次に取るべき反応を掴み損ねた。
ぎこちなく固まった手を中途半端に下ろすレンの表情は、まるで親に置いてきぼりにされた迷子のようだ。背の高いゲンドウの背中を追いかけながら、どう答えるべきか、と必死に視線を巡らせる。そんなレンの焦燥を感じたわけでもあるまいが、ゲンドウがぽつり、と呟いた。
「中忍試験を受けるそうだな。」
「あ、はい!下忍としてすごしてそろそろ三年が過ぎますし、頃合ではないか、と葛城先生が推薦してくださいまして・・」
「冬月に聞いた。任務達成率も高く有望だ、と評価されていると」
「ありがとうございます!」
混乱から立ち直れては居ないが、違う話題を提供されて安堵したレンは、ようやく頬の緊張を緩めてゲンドウに返事をした。伝聞口調であっても、好意的な評価を父の口から聞くのは矢張り嬉しかった。
「必ず受かれ」
「、はい!頑張ります!」
無造作に投げられた言葉は、父なりの激励だと信じたレンは、頬を紅潮させて勢い良く返事を返す。
「遅いくらいだからな」
「え」
「・・・ユイは今のお前の年には既に中忍になって医療班としての資格も取り終えていた。」
だから、ゲンドウが続けて言った言葉の内容を理解するのに、時間がかかった。
「ユイの期待を裏切るな。お前はユイの子供だろう。」
「は、い。・・頑張り、ます」
「・・・・アカデミーの時のような無様な成績は許さん」
「はい。」
天才と称された碇ユイと、鬼才と称されたゲンドウの血を引くサラブレッドとして、確実に名を残せと、碇一族の期待は重い。碇家の者は殆どがユイとゲンドウの信望者だ。碇家は確かに里の旧家で、当主は里の施政を担う重鎮だ。けれど血継限界を伝える一族より優先される事はありえない。どれ程の旧家であっても、血継限界以外の血筋は、里にとって最悪の場合代替が可能な、使い捨て出来る駒でもある。
だから、血継に縁を持たない者たちが、何とか自分たちだけの価値を造り上げようとどの家も必死なのは知っていた。その中で、里の上層部からも注目されるような、目覚しい功績を数多残した碇ユイとゲンドウへと一族の尊崇が集まるのは自然な成り行きだった。その娘であるレンに過剰なほど期待が集まっても仕方ないと理解はできた。
・・ただ、ゲンドウの口からは余り聞きたくないなと、思ってしまう。
ゲンドウがユイの名を出す時、・・・出さない時でも、ゲンドウの視線が焦点をあわせるのはユイにだけだと、強く思い知らされるからだ。
「(アカデミー三位、は、無様、かぁ。母上の・・・碇ユイの望んだ「「完璧」な理想」を体現できない私は、・・・いらない、か、な。
エヴァに乗らない”僕”が、必要のない存在だった、みたいに?)」
もし、次の中忍試験で落第したら、父上は。
「失望させるな」
「はい。わかりました」
想像したとおりの冷たい声で念押しされてしまって、もう笑うしかなかった。
「お前には、失望した」と言われた時、”僕”はどんな顔をしたっけか、と考えながら穏やかににっこりと微笑んで父を見上げた。
「必ず、合格して見せます。」
「ああ」
期待に応えられなければ見放されるというのなら、期待に応え続けている内は視界に入れるくらいはしてもらえるという事だ。
未だに上手く話しかけることも出来ない所為で打ち解ける事が出来ていないのだ。ならばせめて、気に留めて貰えるように努力は続けるべきだろうと思った。その関心が、一族に有益な駒に対するものでも、取りあえずは構わないと思った。
それは、父からの誉め言葉に浮れて先走った挙句、レリエルに飲み込まれて死に掛けた馬鹿な子供の思考と全く変わっていないという事には、思い至らなかった。自分を高める努力は素晴らしいが、その方向性にも気を配るべきだという事には気付けなかった。
単純な子供は取りあえずの目標を定めて、少しだけ安堵したようににこりと笑う。
まだまだ上手くいかない事だらけで、消えない不安を抱えたままの自分を鼓舞するためにも明るい表情を心がけた。直ぐに萎縮してしまって、父に上手く言葉で感情を伝えられないレンの精一杯の好意の表現の積りだった。それも、ゲンドウが視線を向けてくれない状態ではあまり効果は望めなかったけれど。
「いってらっしゃいませ」
「・・・ああ」
ぴしゃり、と戸が閉まる。
深く頭を下げて見送るレンに、視線一つ向けない。
・・・・・・当然だ、ゲンドウは仕事に必要な資料をとりに来ただけなのだから、急いでいるのだろう。
「いってきます」と返される事もない。
・・・当然だ。此処は薬草園を管理するものが住むための別宅だ。ゲンドウが帰る場所は他にあるのだ。
いつだって声のトーン一つ変わらない。
・・・何時もの事だし、誰に対しても同じ態度だと知っているはずだろう。
「(旧家の当主とこどもなら、こんな関係も良くあることだ・・・別に私だけじゃない。)」
わかっている。わかっているのに。
笑みを浮かべていた表情が、段々と蔭る。
「(こんな、たかが挨拶位で一々落ち込むなんて、本当に我ながら暗いなー)」
何をしても、父が、レンを見ることはない。
そう考えてしまうのは、被害妄想だろうか。
・・・自分が、きちんと父姿を見ていないということだろうか?
「(私が見ようとしていないから、見えないのかな。
努力してる積りで、積りでしか、ないんだろうか。・・・私は矢張り、なにも、変われて居ないままなのか、な)」
途方にくれた。
どうしたらいいか、本当にわからなかった。
レンは、一人閉められた戸を見つめて立ち尽くした。
手足の先が冷たくて、視線が下を向く。
何を今更、と己を嘲笑する声が脳裏に響く。
「(母上の望んだ、立派な忍として大成すれば、見てもらえるだろうか。
碇家の跡取りとして、完璧に振舞えれば?
母上の様に、天才、と称賛を得られるような、完璧な功績を残せれば、
・・・・見て、もらえるか。認めてもらえ・・・・私は、)」
本当に、認めてもらいたいの、だろうか?
「(見て、貰いたいの、は・・・誰に?)」
今更、だ。
今の自分は、碇レン、という名の、木の葉の里の下忍で、旧家の一つである碇家の嫡子で、
愚かで卑怯で幼稚な”碇シンジ”は、もう何処にも存在しない。
それでも”碇シンジ”のしたことは、自分の過去でしかない。だから、罪がなかったことにはならない。けれど、その上で、今の自分を、本当に、認めて欲しいのか?認めてもらえれば、
「(満足、出来るのか。・・・認めてもらえれば?・・・・誰に、誰を。)」
殆ど無意識に踵を返す。父を見送ったならば居間に戻らなければ。アスカとイタチが待っている筈だ。この連休中は家に泊り込んで三人で修行する約束だった。里外れの森に隣接するこの家からは、比較的難易度の高い演習場に近いのだ。だから大抵休み前に泊まるのはレンの家が多かった。そうやって殆ど日常の事とはいえ、二人の客人を放って来てしまった、と今更思い返して足が早まりかける。
だが、無意識に視線ごと顔が下に向いている事に気づいて歩みが止まった。
今の自分がどれほど情けない表情を晒しているのか、鏡を見る気にもならなかった。
大きく溜息を吐いて、進む方向を変える。
「・・・・お茶、淹れてから、戻ろうっと」
麗らかな日差しに暖められた廊下を踏んで台所に向かう。
仄かなぬくもりが素足に伝わって、ああいい天気だと思う。
「ああ、もう!本当になぁ」
自嘲が零れた。声音だけは強気に自分への文句を言って見る。けれど気持ちは沈むばかりで、口角が歪に曲がる。試しに笑おうと努力してみたが、頬が引きつる感触ばかりが強くて、とても上手く笑えているとは思えなかった。こんな顔を二人には見せられない。上手く繕える自信もない。だから、少しでも時間を稼ぎたくて、歩みが遅くなる。気配で台所に向かっている事には気づいているだろうから、取りあえず心配は掛けないだろう。いつでも優しい幼馴染達に、これ以上心労を掛けたくはないのに。早く浮上しなければ気づかれてしまう。
己の情けなさに苛苛して、乱暴に髪をかき上げる。
「本当に、どうしようもない、」
「なにがだ?」
「ふぁい?!」
ひっそりとはき捨てようとした己への嘲りに、声が被さる。
レンは、思わず間抜けな声を上げて辺りを見回した。
「お前何やってんだ。高々玄関までの往復に何分掛けてんだよ。」
すると、呆れたように笑うアスカと、無表情ながら柔らかい雰囲気のイタチが、こちらに歩み寄ってくる姿が目に入る。
「えと、・・・ごめん、待たせて。ついでにお茶でも淹れに行こうかと思ってさ」
慌てて表情を繕って、呟いた。
一瞬なら兎も角、長時間顔を見られて誤魔化しきる自信等ない。
アスカとイタチが、他意なく純粋に、レンを心配してくれているとわかるから尚更、二人に自分の情けない顔を見せるのが嫌なのだ。だから先ほど考えていた言い訳を残して、顔を逸らした。
「じゃあ、もうちょっと待っててね。直ぐ戻る 「レン」 にぎゃ!」
そこで突然、襟首を掴まれて引き戻される。
思わず頓狂な悲鳴を上げて後ろ向きに蹈鞴を踏むレン。
「何、行き成り。ってか呼び止めるなら普通に呼んでよ。首絞まるでしょ。」
文句を言った自分の口調が普段どおりのものだったことに安堵しながら、後ろのイタチを見上げた。
「・・・・・」
「?イタチ?」
「・・・・はぁ。」
「何で溜息。」
だが一向に言葉を発さないイタチに怪訝な表情で首を傾げたレンを、じっくりと見定めるように見つめたイタチは、深い溜息を零して眉間に皺を寄せた。益々疑問を深めてみせながら、行き成りばれたかと内心でうろたえるレン。
イタチの後ろに立ったままのアスカの静かな表情も心持威圧感を伴っているような・・
「(いい加減にしろよ、この馬鹿が!)・・・・ぉ」
何時まで経っても自発的にアスカ達に頼ろうとしないレンの後ろ向きッぷりに頻繁に切れているアスカだが、流石に今日この場で怒鳴りつけるのは逆効果だということくらいは悟れる。だから敢えて何時もどおりにからかい口調で話しかけたのだ。が、プライベートでは何処までも隠し事が出来ないレンの、ばればれな演技に反射的に口元が引きつった。
「レン」
が、アスカの怒声が発される前に、イタチが静かにレンを呼ぶ。
起伏のない冷静な声。けれど穏やかな優しさに満ちたイタチの声は、いつだってレンやアスカの心を静めてくれる清涼剤だ。アスカも、イタチが声を割り込ませた事で、一瞬先ほどイタチと決めたばかりの自分の役割を思い出して一つ咳払いした。危うくいつもの様に声を荒げてしまうところだったと、不自然に言葉を飲み込んだアスカに、レンは少し不思議そうな視線を向けたがイタチの言葉に慌てた。
「最近疲れているだろう。茶なら俺が淹れるから、先に居間に戻っていろ」
「え、あのそんなことないよ?」
イタチに名前を呼ばれると、自然に肩の力が抜ける。沈んだ内心を隠さなければ、と強張っていたレンの表情がゆるゆると普段どおりの穏やかさを取り戻す。こんな風にいつも頼り切ってしまって申し訳ない、と思うと同時に背中を支えられていると実感できて安心してしまう。
イタチに名前を呼ばれて返事をするたびに、「私」は此処に居るのだと思える。
「んな、情けねー面で何言ってんだ。良いからお前少し落ち着いて休めよ。」
「アスカも、どしたの急に。別に平気だってば」
くしゃり、と少し乱暴に頭を撫でたアスカが、意地悪く笑いながら言う。
けれどその声はいつでも暖かくて、掌は労わりに満ちていてレンの表情が更に綻んだ。アスカはよくレンをからかったり悪態を吐いたりするけれど、真っ直ぐな青い瞳はいつだって「レン」を見てくれている。だからレンも、構える事無く思ったまま自然な言葉を返す事が出来た。
当たり前の様に、レンの言葉に返答を返してくれるアスカの目を見返すたびに、きちんと「レン」は此処に居るのだと実感できた。
「二人とも、何か変だよ?お茶なら直ぐ淹れてくるから。」
「「そりゃ(それは)さっきの今だしな(だからな)それなりに心配してやってんだよ(にもなる)」」
二人と話しているうちに自然態に戻れた自分の現金さに呆れるが、それでも心地の良い空気にレンの笑みが深まった。
態と、父上との事を話題から外してくれているのだとわかる。
甘やかされいると感じて嬉しがっている自分を嫌悪する。
父との事を意識から外すだけで心が軽くなる自分の情けなさに苛立ちを覚える。
二人の優しさを手放せない自分が何より醜くて吐き気がする。
それでも、イタチとアスカの気遣いに乗って、普段どおりにじゃれて見せた。
「もー、それ言わないでってば!」
「流石に今日のは、俺も驚いたからな」
「イタチまで言うし・・」
苦笑するイタチを見上げたレンが笑う。
自然に、楽しげに。
「もっと言って置けよイタチ。この馬鹿は、何回言っても直ぐ忘れる鳥頭だからな」
「アスカ!酷いから?!」
「へっ、事実だろー?」
傲然と腕を組んで皮肉気に笑うアスカに返したレンの抗議はいつも通りの声音だった。
自然で、楽しげな。
「これから気をつけるから!」
「そうしてくれ」
「当然だな」
やけくその様に叫んだレンに、したり顔で肯くイタチとアスカ。そして三人で同時に噴出す。
隠す為ではなく、自然に湧き上がる衝動の儘に浮かべた笑みだったから、イタチもアスカも気づかなかった。
レンが、ひっそりと、決めてしまった決意の事は。
二人の優しさが心地良いからこそ、早く離れてしまわなければ、と思う。
強くて綺麗な少年達に、いつまでも自分なんかの面倒を見させるわけにはいかないな、と改めて認識する。
「(次の試験で、中忍になったら、班は解散する。・・・・良い機会、でしょう?
私の甘えを叩き潰すには。)」
手離し難いからこそ、早く離れようとする、その決断が逃避であると自覚していた。
それでも、レンはそうするべきだと、その時は本気で考えていたのだ。
レンが、二人を大事だと思い、一緒に居たいと考えているように、イタチとアスカも同じように感じているなどとは思いつきもしなかった。
二人は優しいから、昔から面倒を見させられていた幼馴染を見捨てられないだけだと、本気で信じていた。
けれど幾ら優しくてもいつか本気で見放されてしまう前に離れておこう、と臆病な心で考えた。
そうやって、レンが勝手に決めたタイムリミットまで、後・・・
*本編前の過去編
*碇レンと二人の幼馴染(うちはイタチと惣流アスカ(♂))でスリーマンセル時代の日常風景
*シリアスほのぼの半々位
*三人とも自分の家に対して辛口です。
*時々木の葉にも辛辣です。
*レン達が中忍昇格試験を受ける直前の話
*イタチから見た碇親子と、レンが抱える葛藤と臆病さゆえの卑屈な結論について
*幼馴染sはお互いが好きだし大事ですけど、この時期はまだまだ上手くかみ合ってなくてすれ違ってました、と、そういう話(主にレンの卑屈さと臆病さの所為ですが)
御題配布サイト「age」(管理人吟さま) http://pick.xxxxxxxx.jp/からお借りした
「さるしばい家族の10題」 より、「いくつになっても駄目な人」
「・・・・・つーかよ。」
「・・・・言わないで。」
アスカの呆れきった眼差しに耐え切れず、レンは顔を俯かせ掛けるが、濡れタオルで僅かに影を作るだけで堪える。
「・・・・まだ、痛むか?」
「え、や!もう平気、です」
そこで横からイタチに気遣われて、慌てて答える。が、その拍子にずれたタオルから赤いままの額が見えてしまっては説得力が無い。
「鈍臭い奴だとは思ってたが、正直此処までだとは思ってなかったぜ・・・・」
「・・・・うっさいな。」
「アスカ」
「んだよ、イタチもそう思うだろうが?」
「・・・・レン、そろそろタオルを変えるか」
「・・・・(イタチまで否定しないし)・・ありがと」
些細な切欠を見つけてはレンをからかう事に余念のないアスカすら、声に力が無い。本気で呆れているのだと、その口調から知れてレンの反論も微かな呟きにしかならない。イタチはそんなアスカを窘めようとするが、反対に尋ねたアスカの言葉への否定は出てこない。益々レンは口ごもる。
「オレもよ、任務中は兎も角、プライベートでまで煩く言うつもりはねぇよ。けどな、お前仮にも忍びだろうが。
・・・・任務や修行でなら兎も角よ、」
「・・・わかってるから言わないで。」
「・・・・・日常生活で満身創痍っつーのはなんなんだよ!?」
「言うなって言ってるでしょ?!」
だがしかし、心から呆れています、と言わんばかりのアスカの溜息交じりの言葉にしつこく追求されて、レンもとうとう逆切れする。羞恥に頬が真っ赤なまま、眉を吊り上げてアスカに反論する。
「これが言わずに居られるかってーんだよ!お前、本っ気でどうにかしろよそれ!」
「~~~~~っ、!」
びしり、と赤い額に指を突きつけられて、レンは何事か言おうとするが言葉にならない声を洩らす。それでも何とか反論しようとするが、アスカは容赦なくレンの”不注意”の数々を列挙し始めた。
「何処の世界に、よそ見してた所為で真正面に建ってる電柱に正面衝突する間抜けな忍が存在するんだ?!アホか?!アホだろ?! もういっそ、笑いを取るためにわざとやったって言えよ!」
「~~~~うっさい!ちょっとした不注意での事故を、そこまで言う事ないでしょ?!」
「”ちょっとした不注意”がテメーは多すぎるっつってんだ!
昨日は買い物中に高い棚から調味料の瓶とろうとして手ぇ滑らせて顔面キャッチ!
一昨日は引き出しあけたまま床に落ちたペンを拾おうとして開けっ放しの引き出しに額を強打!
先一昨日には掃除中に風呂場で足を滑らせてタオルハンガーで顎を打つ!
その前の日は、ぬかるんだ地面に足取られて転ぶ!しかも抱えてた洗濯物庇って受身もとらねぇたぁどういう了見だ?!」
「だから!」
「落ち着け、二人とも」
ヒートアップする二人を見かねたイタチが止める。
「イタチも言ってやれよ!この馬鹿に!」
「これから気をつけるってば!アスカしつこい!!」
「いつもいつもそう言ってまっっったく改善されてねぇってーのに、偉そうに言ってんじゃねぇ!!」
「別に偉ぶっては居ないでしょ?!でもあんまり繰り返さなくてもいいでしょっていってるの!!」
が、レンもアスカも止まらない。レンに至っては、瞳を深紅に染めてまで興奮している。
レンの瞳の色は普段は赤み掛かった漆黒なのだが、興奮したり本気で怒ったりと、感情が高ぶると赤みが強く浮き上がって深紅に変わるのだ。何もそこまで熱くならずとも、と思うが、まあ、幾ら何でもアスカに言われっぱなしは悔しいのだろう。多分に羞恥も含まれて余計に感情が荒立っているのだろうし、とイタチが嘆息した。
此処までくればどっちも意地を張り合って中々素直にならない。
本気で嫌い合っての喧嘩ではないため、いつもならイタチもあんまり強く制止はしない。ある程度発散させたら、二人が言葉を止められるように切欠を投げるくらいはするが、基本的には放置するのが常である。だが、今日は早めに止めさせたほうが良い、とイタチの勘が訴えている。
「・・・落ち着けと」
「「レンに(アスカに)言えよ(言ってよ)!!・・・って、何だと(何よ)!!?」」
しかし頭に血が上っているレンとアスカは、イタチの気遣い空しく更に熱くなる。
そこでふと疑問に思う。
確かにアスカがレンをからかって怒らせるのは日常茶飯事ともいえるが、レンの反応がやけに激しい気がする。
「(・・・何か、あった、か?)」
それに、任務中以外のレンは確かにのんびりした性質で、少し危なっかしい面もあるといえばある。だが最近のレンは、注意力が散漫に過ぎる。公私はきっちり分けている為任務中にはありえないが、何かに躓いて転ぶとか、手を滑らせてものを落しかけるとかのミスをする事はある。しかしそれも偶にしか・・・・・割と頻繁に、ある。が、此処まで連日怪我を作るような事は、なかった筈だが・・・・・・
「(何か悩みでもあって、周りが見えていない、のか?・・・・何か悩み・・・いや、あれは、焦ってる、のか?)」
イタチに思いつく理由はその位だが、内容まではわからない。
レンは元々、些細な事にでもぐるぐると深く考え込んでしまう癖がある。
だから少しぼうっとしているとは思っていたが、中忍試験が近づいて緊張でもしているのかと考えていたのだ。レンは体力筋力こそイタチやアスカより劣るが、それを補う為に身に着けた忍術や暗器の技術はずば抜けている。
戦闘能力で劣るという事は決してないし、事実同期の下忍のなかで男女の別なく能力を比較したなら、レンの実力は贔屓目無しにトップレベルだ。中忍や上忍相手にだって、善戦して見せるだけの力は既に持っている。経験や、少女としての肉体的なハンデは如何ともし難いが、今更中忍試験如きに梃子摺ることは無いとイタチは確信していた。だから、レンの性格上自信満々に余裕ぶることは無いと思ったが、悩みすぎて盲目に成る程目前の試験に囚われているなどと、イタチには考えつかなかった。
だから、イタチは悩んだ。
少なくとも班行動の最中にそこまでレンの意識を占領するような「何か」は、無い、と思うが・・・。
「(それとも、俺たちが気づいてないだけか。)」
どうしたものか、と視線を泳がせるイタチ。
嘘が苦手で、隠し事が下手なレンだが、言わない、と決めた事は絶対に口に出さない。
だがこのまま放っておく訳にもいかないだろう。
「(実際問題、実害もある事だし・・・今は小さな怪我で済んでいるが、いつか大きな事故に繋がりでもしたら取り返しがつかないしな)」
目の前で言い合うレンとアスカを眺めながら思案するイタチ。そこでアスカの言動にも違和感を抱く。素直になれない物言いは何時もの事だが、もしかして先ほどのアスカの過剰なまでの言い様は態とレンを怒らせようとしていたのか?怒らせてレンが口を滑らせるよう誘導したいのだろうか。
「(・・・この場合は逆効果、じゃないか?)」
確かに嘘も隠し事も苦手だが、此処で口を滑らせるくらいなら開き直って黙秘を選ぶんじゃないだろうか。
「(それでも聞き出したいなら、身内に甘い性格を利用して罪悪感に訴えるのが一番だが・・)」
もしくは完璧に気づかれないように誘導する、・・・・は無理か。
細かい機微には疎いが、身内の精神状態には勘が良いレンに、誘導を気づかせない、は無理だろう。そもそもレン自身が自覚していない可能性も・・・それはないか。今回は。
「(だが、自覚はあっても鬱屈を吐き出す術が無くて苛苛している、可能性はある、か?、ふむ。)」
ヒートアップする二人のやり取りをどう治めるかと考えていて思考が内に篭る。
が、近づく気配に気づいて舌打ちをした。
・・・失敗した。無理にでも場を治めて置けばよかった。
「何の騒ぎだ」
ぴたり、と喧騒が止まる。
2人の子供たちのじゃれあいに水を差したのは、重々しい男の呟きだった。
「父上、いらしていたのですか」
アスカ相手に食って掛った時の勢いが嘘の様に、静か過ぎる穏やかさでレンが微笑んで声の主に向き直った。アスカは唐突に冷めた空気に当てられて面食らうが、一つ深呼吸して居住まいを正す。イタチは何時もどおりの、年齢不相応な落ち着きすぎた無表情で、レンの父である碇家当主に対して頭を下げて挨拶した。
「お邪魔いたしております。」
「・・・うちはのご子息と惣流のご子息か。」
「・・・お邪魔してます」
イタチとアスカの一礼に軽く肯いて呟く碇ゲンドウに、レンは必死に浮かべた明るい笑みで挨拶を重ねた。
こちらの世界では同じ敷地内に住んでいるというのに滅多に顔を合わせられない父が、本当に珍しくこの別宅に足を運んだのだ。もしかして何かあったのかとも思ったが、出来るだけにこやかに相対してみる。
母が九尾の襲来時に亡くなってすぐに、この別宅で一人暮らしを命じられたのは、自分を疎んでの事ではないと必死に言い聞かせて表情を明るく保った。碇家秘蔵の薬草園の管理は重要な任務だ。それを任されるのは光栄な事なのだと、意識して呟かなければ父からの悪感情を意識して萎縮してしまう自分の情けなさは無理矢理ねじ伏せて見ない振りをした。
「お久しぶりにございます。」
「ああ」
「外に出向かれていると伺っておりましたが、無事の帰還お喜び申し上げます。
何か、御用でしょうか」
緊張しながらも丁寧に頭を下げて父を出迎える。
旧家の当主と嫡子の会話なら最低限守られるべき礼儀として叩き込まれた言葉遣い。”シンジ”の記憶では他人行儀すぎる、と感じてしまうが、レンとしてならこれが普通の会話だった。それでも声音は精一杯明るく、表情も朗らかに保とうと努力する。だが言葉選びを失敗しただろうか。これでは用がなければここには来るなと言っているように聞こえてしまうかもしれない。
礼儀を守ったまま親しみを込めて会話する、という技術が不足している自覚があるレンは、己の一言ごとに墓穴を深める気持ちになった。
そんな必死なレンの葛藤を察した幼馴染二人はひたすら黙して場を見守った。
無機質過ぎる視線でレンを見下ろす碇ゲンドウの態度に思うところがあっても、父親に歩み寄ろうと努力する少女の心情を慮って静かに控えた。
「え、と。・・・御入用の薬材がおありでしたらすぐにご用意いたします、が」
失敗したかと思いつつ、一度口にした言葉を続けないわけには行かず、父に用向きを尋ねる。これでは只の業務連絡と同じだと自嘲しながらレンは父を見上げた。
そのレンの様子を横目で見たイタチとアスカが、微かに眉間に皺を寄せた。
穏やかに父親に相対しながら、こっそりと力を込められた拳が震えているのが見えたからだ。
「いらん。今赤木君に用意させている。」
だが次に落されたゲンドウの言葉に、イタチとアスカの眉がきりきりと吊りあがった。
この別宅で栽培される薬草は確かに碇家秘蔵のもので、所有権は碇家当主のゲンドウにあるのは事実だ。しかし現在の管理人はレンである。なのにそのレンに一言の断りもなく、勝手に部下に採取させているなどと。・・・・どこまで自分の娘を軽んじる積りか!
思わず他家の当主に対する礼儀をかなぐり捨てて掴みかかりそうになったアスカの動きを、さりげなくイタチが抑える。そんなやり取りには気づかないレンは静かに父に答える。
「---そう、でしたか。お手数をお掛けして申し訳、ございません。」
「無駄な手間を省いただけだ。」
「は、い。では父上は、此方に何の、」
「書庫にある資料を取りに来た。」
「左様でしたか」
レンが住む別宅に併設された薬草園の管理を任されているといえ、あくまで所有権は碇家のものだ。自分に断りもなく採取をしたと後で聞かされてショックを受けていたのはもう随分昔の事だ。そんな事も数年にわたって何度も繰り返されれば諦念が先立つ。
医療技術の研究保存が本分である碇家では、その技術に使用する薬材や資料は重要な資産のうちなのだ。その管理運用に当主であるゲンドウの意向が反映されるのが当然で、高が管理人の一人であるレンの意思など関係ない。だから、その事に関してはもう気にしない事にして、何とか多少でも普通の会話を、と考えるが帰ってくるのは鬱陶しいといわんばかりの無造作な相槌ばかりで、元々人見知りが激しく卑屈な性質のレンは
上手く会話を発展させることが出来なくて途方にくれる。
「もう出る。」
「あの、ではお見送り、を」
「必要ない」
「いえ、是非」
けれど、苦手意識が完全に払拭できないからと何時までも尻込みしていては改善など不可能だだからせめて、と考えて見送りを申し出る。案の定切って捨てられたが、ここで諦めては”過去”の二の舞だ、と内心で呟いて何とか自分を奮い立たせて食い下がる。
指先が冷たくなるくらいに拳を握り締めて、必死に微笑を保つレンを、ちらり、とゲンドウが振り返った。
「・・・好きにしろ」
「ありがとうございます」
出て行った碇親子を黙って見送っていた少年二人がやっと動いた。
正確には、動こうとして押さえつけられていた一人が、やっと解放された。
「・・てめぇ、イタチ。何、しやがんだよ」
「落ち着け、アスカ。」
「ざけんな!あれ聞いて、落ち着いていられるか!」
唸るようにはき捨てたアスカに、イタチが深々と溜息を吐いた。
そんな反応に益々気配を尖らせるアスカが激昂する。
「落ち着け。お前が抗議したところで何になる。」
「ああ?!お前は何にも感じなかったってのか?!」
「・・・・誰が、そんな事を言った。」
だが、イタチの冷え冷えとした声音に、アスカも声を静めた。
「なら、何で黙ってたんだよ」
「アスカ、相手は仮にも碇の当主だぞ。高が下忍の子供が、迂闊に口答えなどして良い訳がないだろう?」
「イタチ、」
「それに、ゲンドウ氏に、今更言ったところで無駄だろう。
・・・・あれ程他人を拒絶している人間に、誰の言葉が届くというんだ」
「・・・お前、それ、レンに、」
「言えるわけがないだろう。」
イタチの言に何事か言おうとして口をつぐんだアスカが、ぼそりと呟いた。
だがイタチはにべもなく言い放つ。薄情なほど明快な口調だったが、眉間に寄った皺がイタチの内心を表す。
「なあ、何で碇ゲンドウは・・・・レンを、ああ迄疎んじるんだと思う?」
「知らん。」
「何つーかな。・・・昔から思ってたんだけどよ。・・まあ、血縁だろうと反りが合わないってのはあるし、・・夫人が亡くなってからわかり易く心閉ざしてる癖に・・でも、なんか・・・嫌うなら嫌うで、はっきり拒絶してくれりゃ・・・
・・・レンも、何か変に遠慮してるみたいだし・・・なんだ、碇ゲンドウのあれは・・・・」
イタチを見据えた儘、アスカはぶつぶつとぼやく。
それはイタチも普段から思っていた事だ。
何というか、ゲンドウはレンを忌避している。
レン自身は頑なに認めたがらないが、傍から見ていると、ゲンドウの真意はあからさまだった。
下忍とはいえ、アスカもイタチも忍としての教育を受けているのだ。他人の感情を推し量る術など、基本技能の一つである。確かに己らよりも遥かに年嵩の、しかも一族率いる当主相手なのだから、完璧に出来ているとまで自惚れる気はないが、・・・それは相手に隠す気があるのなら、だ。碇ゲンドウの行動は赤裸々過ぎて、気づいていないレンのほうが可笑しいのだ。本来は。
「レンの、アレは・・・自縄自縛、だろう。
信じたくないから、気づかない振りをしている」
イタチの言葉に、アスカが一瞬視線を鋭くするが、異論は出ない。同意見なのだ。
「・・・言えるか?それ」
「言って良いはずがないだろう。」
「だよなあ・・・レンの焦ってる原因も、アレだと思うか?」
アスカの質問に、イタチは簡潔に答えた。
イタチは、碇ゲンドウがレンに心を開く可能性は殆どないだろうな、と考えていた。
レンの努力は認めるし、レンに対するゲンドウの対応に言いたいことは山程あったが、改善の見込みはない、と冷静に判断してしまっていた。イタチの観察眼では見抜けていない要素があるかもしれない。忍びとしても人間としても未だに成長途中で未熟である事は自覚している。純粋に可能性だけなら0ではないかもしれない。
それでも、イタチから見た碇ゲンドウが、レンへの今の対応を変えるとは思えなかった。
碇ゲンドウのあの無機質な目には見覚えがあった。
・・・うちはの血を至上と誇る時の父親の目にとても似ていたからだ。
あれは、只一つの己の真実以外を全て斬り捨てる、狂信者の目だと、イタチは思った。
そんな人間が、今更心変わりなどするわけがないと、そう判断していた。
けれど、レンは0ではないかもしれない可能性に、未だに縋っている。
その理由はわからなくても、本当にそれを望んでいると知っているから、イタチは取るべき行動を決めあぐねていた。
・・・レンのその望みを踏まえた上で、碇ゲンドウがレンを明確には拒絶しないことに気づいていても。
「(まるで、飼い殺し、だろう。自分の内に受け入れる気はないと全霊で示しながら、気まぐれにレンに構う。・・・何の、為に、だ・・・?)」
先ほどのアスカの呟きはイタチも考えている事だ。
傍から見ればわかりやすいまでに、ゲンドウは他者を拒絶している。
なのに、レンに時折向けられる柔らかい対応は、レンに希望を錯覚させている。
もしかしたら、父と穏やかな関係を築けるかもしれない、と。
「(だが、それは、無い。・・・碇家、の為、か?)」
普通に考えるなら、家を継ぐ子供を御しやすくする為の手管だと判ずるのが正解だろうが、それも違う、とイタチは思う。これは本当に勘でしかないが、多分、ゲンドウにはゲンドウ個人の為の思惑があって、レンを最低限繋ぎとめておく必要があるのだ。
「(こんな推論だけを、レンに聞かせるわけにはいかない。)」
だから、更に続けられたアスカの問いに、明確な返答を返すことは出来なかった。
理詰めで物事を解明するのは、いつでもイタチの役割だった。
殆ど勘と本能で真髄に迫るのがアスカなら、冷静に客観的に情報を解析して真実を見極めるのがイタチのやり方だった。だから、本当に慎重にならざるを得ない時には、最終判断はイタチが下すのが三人で居る時の役目なのだ。
けれど、今回ばかりはその役割分担は成り立たないと、アスカもイタチも理解していた。
「・・・・直接的な原因が、という意味なら違う、が・・・大元をたどれば、そうだろうな。・・・どうする?」
「それを、お前に聞いてんだよ」
イタチに反問されて、髪をかき上げたアスカが嘆息する。
「・・・最近のレンの怪我の原因なぁ」
アスカの言葉に、イタチが片眉を上げた。
「多分、だけど・・・今日、アイツが間抜けにも!電柱に正面衝突なんて忍としてあるまじき事故をおこしたとき、気づいたんだがな。」
「・・・アスカ」
「事実だろうがよ。忍びとしてどころか、一般人でもまともな運動神経持ち合わせた人間ならありえん事故だろうが。 まあ、それは置いておいてだ。・・レンは、なんつーか、基本的に人見知りするよな。」
「ああ」
口調は呆れているが、真面目な表情でアスカが言い出す。イタチは静かに相槌を打ちながら、耳を傾けた。
「俺たちは兎も角、初対面の人間には確実に気後れしてまともに会話が続けられてねぇ。」
「本人は頑張ろうとはしてるが。」
「わかってんだよ、んなこたぁ。けど、未だに俺やイタチと話してても、迷ったり気弱になると視線外す所か距離まで置こうとする癖が抜けてねぇだろ。」
「・・・まぁな。」
「それが、此処最近、妙に少ないだろ。」
「ああ・・・・そう、かもしれんな」
アスカの確信的な問いに、少し考えたイタチが肯く。確かに最近は、会話すると最後まで視線が合ったままではあったなと思う。だが、それはイタチにとっては、ここ数年間では珍しくない状態の為可笑しいとは思って居なかった。
「まあ、俺たちの前では昔みてぇにおどおどする事がねぇから、気づかなかったんだけどよ。
なんつーか、こう、視線を逸らしたら負け、みたいな、意地を感じるというか・・・そんな感じで不自然にぎこちないんだよな。」
「そう、かもしれんな」
「・・・・・二週間前に受けた蔵掃除の任務覚えてるか」
「ああ」
「そこで、偶々休憩中らしき使用人連中が雑談っつーか、まあ騒いでる近くを通りかかってな、経緯は略すが、
有体に言えば、「碇家の跡継ぎは気弱に過ぎて頼りない」ってな話題が出てて」
「おい、アスカ」
普段は喜怒哀楽のはっきりしたアスカが、酷く淡々と話す言葉に違和感を抱きながらイタチは聞いていたが、そこで思わず声をあげた。
「・・・偶々蔵から屋敷内に運ぶ荷物抱えて通りかかったんだよ、レンも一緒に。」
「聞いたのか。」
「聞こえたんだっつーの。」
「それを気にして?」
「目に見えての切欠はそれ位しかねぇだろ。俺らがわかる範囲では。」
億劫そうに肯定したアスカを見返してイタチは黙考する。
「・・・・で、今か?」
「だろ。取りあえずわかり易く人見知りから矯正しようとしてんじゃねぇの?
アカデミーで、「人と話す時は、相手の目を見て話しましょう」って言われたことねぇか?」
淡々と、疲れきった声音でアスカがイタチの問いに肯いた。
「・・「会話中はきちんと相手の目を見て」が礼儀だと、言った教師が居たな。」
「あの単純馬鹿、素直に信じてんじゃねぇ?「他者とのコミュニケーションは先ず基本的なルールを守ることから」、ってな」
忍の技術の一環として、人心掌握の方法や虚偽の見抜き方その他諸々、人間の表裏合わせて利用する術まで身に着けておいて何を今更、という感じだが・・・・そこは、レンだ。任務に必要な知識技術を、個人的な目的に流用する、という思考自体がないんだろう。それでどうしたらいいかわからず途方にくれて、アカデミーで聞いた言葉を思い出した、ってところ、か?
「で、その「ルール」を遵守しようと躍起になって、前方にすら不注意になってたと」
「どっちにしろ、アホだ。アイツ本気でどうしようもねぇ」
呆れきった声と皮肉気な笑みに反して、アスカの青い瞳はどこまでも真摯だった。
どうしたら、レンにとって一番良いのか、と本気で苦悩しているのだとわかる。
イタチも、同じ悩みを抱えているから。
「・・・・他も、似たような理由、だろうな。苦手部分を克服しようと焦りすぎて、足元が見えてない。」
「しかねぇだろ」
「・・・・言って聞くと、思うか?」
イタチは考え込みながらアスカに聞く。
だがアスカは明言を避けて、微妙に話題を変える。
「あの馬鹿の、あの盲目っぷりの原因ってなんだかわかるか。」
「・・・レンのあの態度は、・・・最初、からだった、な。」
アカデミー入学前に、母達に引き合わされた時には既に、両親へのの不自然な遠慮があった。
碇ユイは優しい微笑を常に浮かべた女性で、レンのことも普通に可愛がっていたように見えたが、レンのほうは甘える事に抵抗があるような態度だった。その時は単に、初対面の子供であるイタチたちの前で恥ずかしがっていたのかと思ったのだが。イタチもアスカも既に、総領息子としての自覚と行動を求められていて、可愛げなど欠片もない子供だった。親に甘えるなどという行為には縁遠い生活を送っていた。だからレンの態度を可笑しいとは思わず、むしろ少しでも甘えたい素振りを見せるほうが未熟の証の様で無意識にレンを自分たちより幼いと断じた記憶がある。見下すわけではないが、対等だとも思って居なかった。
その時の自分の驕りを、後々後悔するとも知らず、初対面の時のレンに対する印象はそんなものだったのだ。
その後同級生になったレンは、初対面の印象通りに、人見知りをする気弱な少女でしかなかった。
けれど、レンはいつでも、弱い自分を変えたいと、努力し続ける誠実な人間だった。
臆病で他人を怖がっているくせに、目の前で困っている人間を見捨てられないお人良し。
他者の否定を恐れるくせに、一度決めた自分の意見を簡単に変えたりしない頑固者。
けれど他者の意見を拒絶したりせず、迷いながらも集団の中の多様性を受け入れることのできる柔軟性を身につけようと四苦八苦して。
年齢相応に幼く無意識に他者の善意を根底に信じるような甘い人間だった。
レンの語る理想は綺麗過ぎて、イタチから見れば夢物語の様だった。
けれど、そんな風に人間に綺麗な希望を持っているくせに、きちんと里内の権力抗争や忍の仕事の闇も理解していた。人間は嘘もつくし、自衛の為に他者を傷つけるし、弱くて卑怯で愚かな存在だと、知っていた。他国に比べれば穏やかで優しい気質の木の葉の里も、忍の里相応に暗い闇を抱えた場所だとわかっていた。旧家の人間同士の権力抗争、其々の一族内の骨肉の争い、個々の地位や立場への妄執が高じた策略謀略の数々。
その全てを知った上で、血継限界の一族中でも有力者であるうちはの嫡子であるイタチを特別扱いしなかった。
アスカの事を旧家といっても所詮は血継限界も持たぬ凡人の分際でと理不尽に見下す教師たちの視線を知りながら、アスカがイタチに挑む行為を馬鹿にしたりしなかった。
「天才」などという簡単な言葉で、イタチやアスカを別種の生き物の様に扱って、優れた能力も当然の結果だと過剰な期待を掛ける同級生や教師を尻目に、レンは「二人とも凄く頑張ったんだね」と笑った。実技の授業で対戦した二人が怪我をすれば、優れた試合内容を言及するより先に、「怪我人は大人しく治療をされなさい」と怒った。その後で、監督教師すら感嘆した二人の技能について、「そんなに強くなるまで、皆より沢山修行したんでしょう」と感心して、「でも無理しすぎると後で辛くなるから程ほどに休むんだよ」と心配して見せた。イタチとアスカが優秀な成績を修める事が当然だったアカデミーの空気を知った上で、「二人には敵わない」と悔しがって、「次は私も勝てるように頑張るからね」と挑戦してきた。
同級生が単純にイタチやアスカのずば抜けた能力を「天才」等と称賛して自分たちとは違う生き物の様に扱う中で、
二人の実力の裏にある努力や葛藤を見て、頑張ったねと笑う子供だった。二人が頑張っているんだから、自分だって頑張れば出来るんだ、と言って我武者羅に追いかけてくる子供だった。
そんな風に、他者の事は前向きに受け止められる癖に、自分自身のことは何処までも卑屈に考える。
イタチやアスカと勝負して負けた時に悔しいと感じる自分を、弱いくせに嫉妬するなんてと恥じる。純粋にイタチとアスカを心配して怪我の治療すれば、後で同級生の少女達から二人に近づくなんてと責められて、自分の態度は図々しかったかと不安がる。少年と少女という生まれ持った肉体的なハンデを、自分の努力が足りないからイタチにもアスカにも追いつけないんだと考えて、倒れるまで修行する。倒れたレンを心配する二人に迷惑掛けてごめんと謝る。イタチを一族の権勢ゆえに特別扱いする教師が、レンに向かって「あまりイタチとアスカを煩わせるな」
と注意すれば勉強の邪魔しないようにするねと言って離れようとすらした。
その度に、他人の言葉に振りまわされるなと、自分たちは迷惑だと思ったらその場で口にしていると、レンの事を友人だと思っているのにお前は違うのかと、言葉を尽くして引き止めてきた。
正直過ぎて嘘がつけなくて誠実にあろうと努力しているお人好し。
卑屈で後ろ向きで単純すぎて直ぐに落ち込む。
そんなレンを、イタチもアスカもいつの間にか放っておけなくなっていた。
ふわふわと危なっかしい少女を見守っていなければ心配でたまらなかった。
イタチのこともアスカのことも対等な一人の人間として見て、当たり前に気遣ってくれる彼女の存在は、もう無くてはならないものになっていた。
だから、欝々と後ろ向きに考え込んで、自分自身のことは簡単に否定するレンを、らしくもなく必死に引き止めてきた。イタチやアスカが困っていると躊躇わずに手を差し伸べるのに、自分の困難は隠し通そうとするレンの手を掴んで引っ張り上げるように歩いてきたのだ。
そんな風に少しずつ親交を深めて一緒に生きてきた幼馴染が、昔から不自然に怯えている対象が父親である碇ゲンドウだ。ユイに対するレンの真情はユイ本人が亡くなっているので確かめようがないが、レンが父親に対して何某かの葛藤を抱えた上で歩み寄ろうとする姿をずっとイタチとアスカは見てきた。
同時に、碇ゲンドウが理不尽にレンを冷遇して忌避するくせに、中途半端に温情を見せて飼い殺しにする様も、ずっと見てきたのだ。
「俺ん家や、うちはも面倒な柵抱えてんのは似たようなもんだけどよ。
・・・・別に、レンは家の権勢とかには興味ないよな。単純に父親に好かれたい、ってのとも違う気がするし・・・・」
アスカの呟きは今更の認識だが、不思議といえば不思議だ。
家柄にも権力にも固執しないレンが、碇家の嫡子としての評判を気にする理由といえば、後は父に好意的に見られたい、という理由くらいしか思いつかない。しかし、レンの碇ゲンドウへの拘りは、それ、だろうか?確かに父娘としての交流を望み、もう少し歩み寄りたいと思っているのは事実だろうが・・・・・アスカとイタチは揃って嘆息した。
「どーすっかなぁ。」
面倒そうに、それでもレンへの好意は隠さずに声に滲ませて、アスカが窓の外を眺めて呟く。
他者の心情を慮る、という事の難しさを痛感している少年二人の溜息は深まるばかりだ。
「本当に、手のかかる奴だぜ。あの、馬鹿は。」
それでも、レンとの友情を手放したくないのだと、何回言えば理解するんだろうか。
「ああ、そうだな」
*本編前の過去編
*でも微妙に原作様第一部と第二部の空白期間にリンク。
最後に少しだけで、ナルトの出番も数行だけですが。
*碇レンと二人の幼馴染(うちはイタチと惣流アスカ(♂))でスリーマンセル時代の日常風景
*シリアスほのぼの半々位
*三人とも自分の家に対して辛口です。
*時々木の葉にも辛辣です。
御題配布サイト「age」(管理人吟さま) http://pick.xxxxxxxx.jp/からお借りした
「さるしばい家族の10題」 より、「4、ソファは満員」
レンの住む屋敷は基本的に和風の造りだが、幾つか洋風に改装された部屋もある。
うち一つが、日当たりの良い南向きのリビングだ。
レンがこの屋敷に住むようになった当初、ただ大きいばかりで古い屋敷はあちこちがぼろぼろの状態で、かなりの補修を必要とした。その分安かったので文句はないがそのままでは住めない。ならば、ついでに己の住みやすいように改築してしまおうと手をいれたのだ。この世界に転生して数年経ったが、未だに”過去”の十四年間の記憶がある所為か純和風の碇家の生活は少し窮屈だと感じていたためだ。
「多分、生活様式だけの所為じゃないけどね。」
「あ?なんか言ったか?」
「ううん。なんでもないよー。アスカは何飲む?」
「?まあ、良いけど。そーだな、コーヒーにすっか。」
「OK。じゃあ、お茶請けはお土産にくれたチョコケーキで良い?」
「おう。」
リビングで日向ぼっこをしながら本を読んでいたのだが、そろそろお茶でも淹れようと立ち上がりながらの呟きにアスカが顔を上げた。実際大した内容では無い為、笑いながらお茶のリクエストを聞く。アスカもなんとなく聞いただけらしく、素直に希望を答える。平和だな、と思いながらリビングをでてキッチンに向かった。
背中を見送ったアスカが、注意深くレンの空気を伺っていた事には気づかなかった。
「あ、イタチ。お帰りなさい。アスカ、コーヒー此処に置くよ?・・イタチは緑茶だよね?」
お茶を淹れつつ感じ取った気配に追加した湯飲みを新しい客人の前に置く。家にレンしか居ない時は律儀に許可を待つのだが、アスカが先に来ている時はイタチを無理矢理引き込むのが常だ。だからレンものんびりとイタチの分も用意して戻ったのである。ソファの両側に其々座る少年二人の間に腰を下ろしながら、イタチに話しかけた。
「ただいま。・・頂きます。」
「はい召し上がれ。任務お疲れ様。予定より早かったね?」
「船が順調に進んだからな」
「そっかぁ、海が荒れなくて良かったね」
「ああ、それは安心した。それよりも、すまないな、勝手に上がりこんで」
置かれた湯飲みを手にとって口に運びながらイタチが答える。ほのぼのと会話するレンとイタチ。だが、最後に加えられた謝罪を聞いて、イタチ同様にカップに手を伸ばしていたアスカが雑誌から視線を上げた。
「サンキュ、頂きます。・・てかイタチよ。お前一々こいつ待つ必要ねぇだろ、今更」
「アスカもどういたしまして。
って、そうそう。アスカの言うとおり、直ぐに入ってきて良いのに。」
イタチとアスカの答えに其々返しながら、イタチに向かって首を傾げるレン。実際ほぼ日参して、客室二つはアスカとイタチの私室同然の状態で、今更遠慮しても、と思ったのだ。だがイタチは真面目な表情で首を振る。
「親しき仲にも礼儀あり、というだろう。女性の家に遠慮なく足を踏み入れるのはな」
「こいつが女って柄かぁ?」
「アスカに言われると腹立たしいけど!・・・本当に遠慮しなくて良いのに」
アスカの茶化した物言いに頬を膨らませて睨むが鼻で笑ってあしらわれる。レンも別に本気で怒ったわけではないのでイタチに言葉を返した。言いながら、イタチの生真面目さも今更だしなーと思ったのでしつこく繰り返しはせず話題を変える。
「ま、イタチらしいね。・・ところでそろそろ買い物行くけど。夕飯何がいい?明日のお弁当のリクエストもあったら聞くよ?」
「では俺も手伝おう」
「え、イタチはゆっくり休んでて良いよ?任務の後でしょ?」
「馳走になるんだ。その位手伝わせてくれ。アスカ、行くぞ」
ふと時計を見て、買出しに行く時間かと腰を上げた。ついでにアスカとイタチに食事の希望を聞く。基本的に食卓の主導権はレンのものだが、二人の希望も取り入れた上で決定するのが常である。特に今日は珍しく三人でゆっくりと過ごせる時間が取れた事だし、多少の我侭も聞いてやろうと思い立ったのだ。レンの言葉にイタチがすかさず立ち上がり手伝いを申し出る。だが、任務後であるイタチに手伝いを頼むのは気が引ける。そのレンの気遣いにイタチは首を振って、ソファでくつろぐアスカを見下ろして声をかけた。
「面倒くせぇな。イタチが行くなら、俺はいらねぇだろ。」
「アスカ」
「へーへー」
「二人とも、本当に大丈夫だよ?折角なんだから、ゆっくり休んでてってば」
読んでいた雑誌をマガジンラックに投げ入れながら気だるげに立つアスカ。口では文句を言うが、本心ではない。単に素直にレンの手伝いをするのが気恥ずかしいだけだ。それを知っているからイタチが誘って促してやっているのだ。・・レンは気づかず、慌てて遠慮しているが。
「あんだよ、オレじゃ頼りないってか?」
「そんなことはないよ?アスカもイタチもいつも助けてくれてるし!」
「は、当然だな。」
「・・行くぞ」
アスカがわざとらしくレンの顔を覗き込む。レンが慌てて首を振って否定すれば、満足そうに口角を上げた。その表情に紛れもない喜びを見出して、イタチが内心の笑いをかみ殺し声をかける。アスカの言動は、いつでも素直で微笑ましい限りだ。伝えたい相手には全く伝わっていないが、今の二人にはこの程度が丁度良いのだろうと一人肯いてさっさと外に出る。
「あ、ごめんイタチ。じゃあ、アスカも行こう?」
「おう」
「なんか、二人と一緒に買い物行くと、おまけ一杯もらえるよね・・・
食費が助かるな~♪」
感心しきったレンの呟き。向けられた二人はあからさまに嫌そうな表情で振り返った。両手には重そうな袋が握られている。
「・・・・・うるせぇよ。」
覇気がない声で言い捨ててアスカがレンを睨む。アスカの脳裏には黄色い声でおまけを押し付ける八百屋や肉屋の小母さんの姿が甦って疲労が増した。
「・・・・役にたてたなら何よりだ。」
心持肩を落としたイタチが、レンには穏やかに返しつつ、熱の篭った視線で周囲を取り巻いていた野次馬を思い出して溜息を深くする。
「えと、・・・ごめんね、やっぱり一人で行けばよかっ」
「「気にするな。オレ(俺)が好きでしたんだっつーの。(事だ。)」」
二人の重い空気にバツが悪そうな表情でレンが謝るが、アスカとイタチはすかさず否定する。確かに無駄に体力を奪われた気がするが、レンを一人で出すほうが、後々精神的な疲労が溜まると分かっているのだ。
「(・・・・・こいつ、全く気付かねぇとか、どんだけ鈍い・・まあ良いけど。)」
「(・・・牽制の効果はあったようだな。)」
アスカが呆れてレンを見下ろし、イタチが呟く。・・・里中の女性の人気を集める眉目秀麗な少年二人に隠れがちだが、可憐で華奢な容貌と体躯が保護欲をそそる、と密かに評判のレンに懸想する者もおおいのだ。増して、レンは家事万能で控えめで気遣いが上手くアカデミーでは、将来嫁にしたいランキングで不動の一位を誇っていた。・・・実際、必要以上ににこやかに対応していたスーパーの店員や、常以上に熱くお勧めを説明していた魚屋の店番からガードしていた二人が同時に苦笑を零した。
「・・・そーいや、スーパーで話してたのが新しい班員か。」
「ああ、見てたの?うん、トウジとケンスケ。」
「上手くやれているようだな」
しかしアカデミー時代、学内新聞で目玉記事だったランキングには、本気で苦労させられた・・・と更に疲れる記憶が甦り、それをかき消すために違う話題を、と考えているうちに思い出して問うアスカ。軽く挨拶するだけで通り過ぎたレンを、名残惜しそうに見送っていた少年二人を思い浮かべて軽く眉間に皺を寄せる。
そんなアスカを見て呆れつつ、イタチがレンに当たり障り無く言葉をかける。レンの人当たりの良さならば、普段は余程のことがない限り人間関係で問題を起こす事はない。だが、レンだけが中忍昇格を一年遅らせなければなかった原因が尾を引いてはいない事を己の目で確認して安心したのだ。
「うん、心配してくれてありがとう。・・・大丈夫、今度の試験ではちゃんと受からなきゃねー。」
「ま、頑張れよ。後輩君?」
「・・・・ありがとう、先輩。」
イタチを見上げて苦笑を滲ませるレンが明るく言えば、アスカがからかい気味に混ぜ返す。それに少し頬を膨らませて上目遣いで乗るレン。
「レン君」
そこで、突然声がかけられた。
「・・・・冬月、先生」
数秒前の明るい笑みが消え、感情を読ませない仮面の表情で立ち止まるレンが、ゆるりと首を巡らせる。その先には、渋い色の和服をきっちりと着こなした人物が柔和な笑みで立っていた。
「お久しぶりです。冬月先生、このような所まで態々お越しくださらなくとも、お呼びくだされば直ぐに伺いましたのに。」
「いや、久しぶりに君の顔を見たくてね。普段の生活の様子も直接見ておきたかったし」
「お気遣い頂きありがとうございます。ええ、恙無く過ごさせていただいております。」
イタチとアスカを視界にも入れていないかのような態度でレンに笑いかける冬月。
だが、少年二人は自分たちへの無礼より、レンが表情を偽らなければならない相手の出現に苛立ちを募らせる。
半年前の中忍試験最終試験前の準備期間に起きた、碇家当主の「乱心」による傷害事件の詳細を知るイタチとアスカは、明確な敵意を冬月に向けた。・・・里の上層部の都合による建前上「乱心による傷害事件」で片付けられたが、その事件で、レンが、碇ゲンドウに何をされたのか、今は全てを知っている。
最終試験の本戦前の準備期間に修行中、突然担当上忍に呼び出されて向かったのは木の葉病院の一室だった。真っ白な部屋の中央に寝かされた、真っ白な包帯に全身を包まれたレンの寝顔が脳裏に過ぎる。
人の気配に目を覚ましたレンが浮かべた、感情の伴わない空っぽの笑顔。
静かに微笑んで、「不注意な事故」で負傷した所為で試験を棄権する事になった、と告げた細い声。
誕生日にとイタチとアスカが共同で選んで贈った髪飾りを着けてみたいからと、最近伸ばし始めた髪がまた以前の様に短く切りそろえられていた。
動揺を押し殺して笑ったアスカと、無表情ながら穏やかに言葉を掛けたイタチが、枕元に近づこうとした一瞬、確かに震えた肩。
赤みを帯びた漆黒だった瞳が、深紅に変わったことを隠すように常に目を伏せたままの静かな微笑。
・・・・以前ならありえない速度で完治していく傷痕を、怯えた表情で隠そうとしていた。
何度も何度も名前を呼んで、無理矢理にでも手を繋いで、普通に笑えるようになるまでやっと回復してたのに。
そのレンが、また事件直後に浮かべたのと同種の表情を見せた。
その事実がアスカの怒りを掻き立てた。隣のイタチも穏やかだった瞳に苛烈な光を浮かべて冬月を見据える。少年二人にとって、大事な幼馴染を傷つけるだけの存在に成り下がった碇家の人間は、全員が敵だった。特に碇ゲンドウが「乱心」によって当主を退いた後当主代理を務める冬月はその筆頭だ。そんなアスカ達の敵意と殺意を察しているくせに、そ知らぬ表情でレンに話しかけるその態度に更なる嫌悪を募らせた。
「レ、」
「ごめんね、お待たせ、二人とも。
・・では、冬月先生、お話がそれだけでしたら、そろそろ失礼させていただきます。」
だが、限界を迎えたアスカとイタチが行動を起こす前に、レンが動いた。
穏やかな笑みで手に下げた荷物を持ち直して帰宅を促す。
柔らかいのに、温度のない笑顔が、アスカとイタチに向けられる。
レンは、酷く凪いだ己の心情に首を傾げた。あの事件以来碇家の指導者達とは顔を合わせていなかった。入院中に、レンが碇家の籍から外されたと告げに来たのも伝令を努める下男の一人だった。
碇ゲンドウが、「父上」が、自分に向けた視線に一喜一憂しては今生でこそ認められようと必死だった時は、冬月達の向ける感情の一つ一つにももっと敏感だったのに。今目の前で、レンの表情を冷徹に観察する視線で見下ろす老人の笑みを目にしても感情は動かない。ただ、目上の人間に対する礼儀を守って当たり障りのない返答を返す。中身のない社交辞令を交わして相手の気まぐれを満足させるだけだ。だがそろそろ切り上げても良いだろう。何が目的だったか知らないが、夕飯の準備が遅くなってしまうし、と暇を告げた。
「ああ、元気そうで安心したよ。
・・・先日長期任務から無事帰ったと聞いたときもだが。流石、碇とユイ君の娘だ。」
「、光栄、です」
「てめ、」
「では、失礼いたします」
それでも碇ゲンドウの名を出した瞬間、微かに感情がざわめいた。
早く帰って三人で夕飯を食べようと考えてほわりと暖かくなりかけた胸の奥が引きつる。半年前までは、きっと嬉しいと思っていたはずの賛辞なのに、酷く冷たいしこりが生まれた気がする。
耐えかねたように声を荒げかけたアスカを、素早く押さえつけているイタチを視界の端に入れながら、レンは笑みを保ったまま答えた。一瞬詰まってから改めて一礼したレンを見下ろす冬月の視線は穏やかだ。
・・・穏やかに、レンの言動の一つ一つを観察している。
それを見て、成る程、と呟く。
「ああ、引き止めてすまなかったな。
では、また暇がある時にでも遊びに来てくれ。歓迎するよ。」
「はい、ありがとうございます。それでは」
再度一礼するレンは、穏やかに微笑んだ。
・・・・成る程、ゲンドウが行った実験が、本当に失敗だったのかを、己の目で確認に来たのか。
「・・・・なら、もう、会う事はないかな」
ちらりと振り返った瞬間目にした冬月の表情に浮かぶ諦念に満ちた苦い笑みを見て、そう呟いた。
今度胸に湧き上がった感情が、安堵であった事に気づいて自嘲するように口角が歪む。
歪んでしまった表情を隠すために一つ深呼吸してから、アスカとイタチに向き直る。目が合った二人の表情に、心配が張り付いているのを見て今度こそ感情が伴った苦笑が浮かんだ。
「ごめんね、待たせて。」
レンの表情を真っ直ぐ見返した二人は、一つ深い溜息を吐くと手に持っていた荷物を片手に持ち直す。そして両側から同時に手を伸ばすと、力任せにレンの頭を撫でた。髪が絡まると抗議する前に、ぐいっと力を入れた掌に押されて顔が俯く。そのまま軽く掌を弾ませた二人は、其々背中と腕に手を添えて、レンを帰路へと促した。
「ああ、帰るか。」
「早く帰って夕飯にするぞ。流石に腹が減った。俺の分は大きめで作れよ。」
「・・・・うん。帰、ろう。」
当たり前の様に、二人が「帰ろう」と言った。
両側から伝わる温もりに、冷え込み始めた夕刻の外気も気にならなかった。
少し支えてしまった言葉に気づかなかったように、二人はもう一度口を開いた。
「「早く帰るぞ。」」
「うん!」
「・・・い!起きろよ!レン」
「う?」
薄暗いリビングに、少年の声が響いた。肩を軽く揺すられたレンが、ぼんやりと目を開く。
霞んだ視界に、僅かな光にも鮮やかに煌く金糸が入る。
「あ、れ?・・・ナルト?」
「お前なあ。もう秋になるってのに、こんな時間に何も掛けずに寝てたら風邪ひくだろうが」
「ごめ、ん?・・・・あれ」
「何だ。まだ寝ぼけてんのか。」
徐々に覚醒する意識。起こしてくれたナルトに答えながら周囲を見渡すと、そこはリビングのソファの上だった。どうやら非番の午後、たまには読書でもと思っていたのだが、寝入ってしまったらしい。何か自分こんなのばっかりだなあ、と苦笑しながらナルトに視線を戻す。折角ナルトが来てくれたのに、出迎えもしなかった事を申し訳なく思った。
「ごめんね。起こしてくれてありがとう」
「別に、大したこっちゃねぇよ。それより、お前大丈夫か」
「何が?」
「・・・・・いや、何でもない。」
「ナルト?」
ナルトの青い瞳が、思いのほか真摯な光を浮かべてレンの表情を見つめていた。
何時もはっきりと物事を口にするナルトが、珍しく何事か言いよどむ。
どうしたのかと首を傾げるが、次の瞬間には普段どおりのナルトの表情に戻っていた。
「何でもねぇよ。それより、夕飯一緒に食う約束だろ。任務が珍しく早めに終わったから買出しも手伝おうかと思ってな。」
「あ、そっか、お疲れ様。お帰りなさい。」
「///た、だいま。・・っほら、行くぞ!」
「うん、ありがとう。少し待ってね、鞄とってくる」
予定していたより早い訪問の理由を告げられる。何時も殆どの日夕食は一緒に摂るが、今日はイノ達も一緒にご飯を食べる約束があったのだ。だが皆裏での暗部任務や表での下忍や中忍の任務があった為、全員が揃う時間を合わせた結果約束は夜だった。だからうっかり昼ねしてしまっていたのだが、ナルトは手伝いもしてくれるつもりで早めに来てくれたらしい。無事に帰宅した姿を改めて認識して安堵に微笑んだレンが笑って労うと、頬を染めたナルトがぶっきら棒に手を引いた。どうやら成長期に差し掛かったらしく、身長を伸ばし始めたナルトは、可愛らしさよりも精悍さを増し始めたと評判なのだが、赤く色づく頬が変わらない素直な少年らしさを醸し出して微笑ましく思った。感じるままにくすくすと笑い声をあげると、少し睨まれてしまう。慌てて口を押さえて、財布を取りにと部屋を出た。
そこで、さあ、っと穏やかな風が吹き込む。
空気の入れ替えに、と少しだけ窓を開けていたことを思い出して部屋を振り返る。
電気をつけて居ないから夕刻らしく薄暗いリビング。
温かみのある色合いのラグマット。
数冊の雑誌や小説が入れられたマガジンラック。
小さめのローテーブルには、一つだけ置かれたマグカップ。
ひなたぼっこが室内でも出来るようにと、窓際に置かれたソファ。
・・三人が、其々にくつろいでも余裕のある大きさの。
その上には、三つの色合いの違うクッション。
さっきまで自分がもたれていた一つと、使われない二つが仲よく並んでいる。
いつでも満員だったその場所が、夕日に照らされながら少しずつ淡い影に沈んでいく。
「帰ろう、って」
「レン!何やってんだ?」
「あ、ごめんね。直ぐ行くよ。」
ぼんやりと落ちた呟きを振り払うように、ナルトの声に応えた。
素早く部屋を横切って窓を閉め、音を立てずにリビングの扉を閉める。
いつでも両側にあった温もりを夢に見た。
二度と戻らないのだと諦めかけたもの。
「でも、諦めるのはやめたから。・・・ごめんねイタチ。」
調べ続けるうちに知ってしまった、うちは一族の闇に思いを馳せる。
もう、情けなさにうずくまって泣くだけ子供ではないのだ。
「イタチの意思から外れても、私は私の決めたことをするよ」
それでも昔は当たり前に差し出されていた掌が、今は、とてもとても遠くて。
寂しさを振り切るように、いつでも満員だったはずのソファを一瞥して、扉を閉める。
「せっかく、三人で使うからって一緒に選んだんだから、居てくれなきゃ駄目でしょう?」
穏やかに微笑みながら、瞳に苛烈な怒りと強い決意を宿して呟いた。
自己嫌悪も後悔も未練も何もかもを飲み込んで、
それでも捨てたくない望みを叶えると決めた、18歳の晩夏。
*本編前の過去編
*ナルトは出てきません。
*碇レンと二人の幼馴染(うちはイタチと惣流アスカ(♂))でスリーマンセル時代の日常風景
*シリアスほのぼの半々位
ちょっとギャグっぽく
御題配布サイト「age」(管理人吟さま) http://pick.xxxxxxxx.jp/からお借りした
「さるしばい家族の10題」 より、「6、臆病者の午後」でレン達の下忍任務風景の一場面
「うわぁぁぁぁ!」
がたたた、と大きな音と共に埃が舞う。
「どうした?」
今日の任務である倉庫整理中、階上から聞こえた悲鳴に即反応したイタチがレンに声をかけた。
素早く辺りを見回しつつ梯子を上る。普段の感情表現は素直だが、任務中は基本的に淡々とした居住まいを崩さないよう努めているレンが動揺も顕に声をあげるなど、と心配しながら上にたどり着いたイタチ。
「うっせーぞ!騒ぐな馬鹿レン!」
レンが担当するより更に一段上がった場所で片づけをしていた筈のアスカも、悪態を吐きつつ慌てたように梯子の上から降りてきた。
そして同時に目が点になる。
二人の視線の先では。
「ご、ごごごごめん!すぐ、すぐ片付けるか、ら・・・!」
何故か半泣きのレンが怯えきった表情で、丸めた新聞紙片手に忙しなく辺りを伺う姿が。
「何があったんだ・・・?」
とりあえず差し迫った状況ではないと察したイタチが静かに問う。
「あ、ぅ、えと、あの、ゴ、・・・・が!」
「あぁ?何だって?」
「あの、ゴ、・・が!」
アスカも、レンの様子に危険はないと察したのか普段の表情で聞き返した。
だがレンは二人に答える余裕もないのか、恐る恐る辺りの影を覗き込み何かを探し続ける。
「何かなくしたのか」
その姿に、大切なものでも落としているのかとイタチが手伝いを申し出ようとした瞬間、梯子の傍から黒くて小さな影が勢い良く飛び出した。
「うきゃぁっぁぁ!」
それを見たレンが更に動揺しきった声で叫びつつその影に飛び掛った。・・・・というには腰が引けすぎていたが。
「・・・なんだ、ゴキブリか」
「名前言わないで!」
「・・・馬鹿レン・・・」
「何呆れてんの?!いや確かに情けないけど!・・・ぇうぅぅぅ、ああ、逃げる!ぅゎああああん!」
確かにアスカとイタチもその家庭内害虫が好きではないが、目の前で必死すぎるレンを見ていると、今更慌てる気にもならない。思わず一人と一匹の戦いを見守ってしまった。
「ぅえええい!っよし!・・・ぁぁぁとは、紙に包んで、・・・ぅぅぅ」
「・・・終わったか。」
「・・・終わりました・・・ぅぅ、」
「んな、苦手だったのか?ゴキ、」
「名前出さないで!」
やっとの事で新聞でしとめたソレを、やっぱり半泣きでひろげた新聞に包んで丸めている。身体に近づけるのも嫌なのか精一杯腕を伸ばした状態で。
淡々と確認したイタチに項垂れつつ答えたレンに、呆れきった声でアスカが聞こうとすると、ソレの名前を遮る。
「(・・・名前も聞きたくないのか。)」
呆れてはいないが、ここまで動揺するレンは久しぶりだと思ったイタチがまじまじとレンの様子を眺めていると、アスカが人の悪そうな顔で笑う。
「なっさけねぇなぁ?流石馬鹿レン、害虫如きにびびるなんて」
「うっさいよ!
「は、んな泣き顔で睨まれても怖くねぇし。」
「泣いてません!」
「へぇぇ、じゃ、何で目じり濡れてんのかなぁ?」
「ぅ五月蠅い!」
「そろそろ落ち着け」
とても楽しそうなアスカが、早速とばかりに新たに知ったレンの弱点をからかいはじめる。レンもあからさまな態度を目撃された後とあっては誤魔化しも効かないと分かっている。ただ言われた言葉にそのまま反論するしかない。楽しげにからかうアスカだが、レンが本気ですねる前に、とイタチが止めた。
不満げな表情でアスカが睨むが、やりすぎるな、と唇の動きで伝えると舌打ちを零してそっぽを向いてしまう。
「レンも、そんなにアレが怖いなら、俺かアスカに言えば良いだろう。」
「別に、・・ちょっと苦手なだけだし」
罰がわるそうに俯くレンにイタチが言うと、ぼそぼそと答が返った。
「いやお前、アレでちょっと苦手っていってもな」
流石のアスカも呆れて言い返す。まあ、あれ程怯えた様子で奮闘する姿を見ればな、と思いつつレンの頭を見下ろすイタチ。
「別に俺たちも得意ではないが、そこまで苦手意識があるわけでもない。
そういう時は言ってくれれば代わりにアレの片付けくらいやるぞ?」
「~~~~っ、前、はそんな苦手じゃなかったし!
(ミサトさんのマンションでは良く出没したの自分で片づけしてたのに!)
弱点はちゃんと克服しないと!」
「や、そこまでして無理にやる必要はねーと思うが」
「無理じゃないし!(昔は平気だったんだから、今も平気、な筈!!)ちょっと驚いただけだし!」
「けど、大抵の女は苦手なもんだろ。別にお前だけってわけでもねーんだから、」
「関係ないの!平気だってば
(女になったから苦手になったとか、絶対に認めない!平気平気平気!)」
「あのな・・」
落ち着いた声でレンを諭すイタチに何やら反論しているが、未だに涙目のままでは説得力が皆無である。此処まで見れば流石のアスカも、からかうよりも、宥めるための言葉を選び始める。が、あくまでレンはゴの付く家庭内害虫への苦手意識を認めたくないらしく、平気だと言い張っている。・・・そこまで意地になる事だろうか、と疑問が浮かぶイタチ。アスカも困惑し始めている。
「前は平気でも、突然苦手意識が生まれることもあるだろう。
今は別に切羽詰った状況ではないのだから、遠慮なく頼れば良いと思うが。」
「それ、に、自分がいやな事を、他の人に任すのは、なんか、
・・・苦手なだけで、出来ないわけじゃないし!」
「お前、なぁ・・・・」
普段も感じていた事だが、レンは自分でも出来る事は他人に任せることがない。とにかく可能な限り一人で何でもこなそうとする。そのくせ、イタチやアスカには当たり前に手伝いを申し出るし、当たり前に負担を多く請け負おうとする。それに気づくたびにアスカが苛立たしげに舌打ちしていることにも、イタチが眉を潜めている事にも全く気づいていないのだろう。・・・まあ今回は他愛もないことではあるが、切欠にはなるか、と思って言ってみる事にしたイタチ。
「なぁ、レン。お前は俺たちの仲間だろう。
仲間は協力するものだと、スリーマンセルを組んだ時に言っていたな?」
「うん、言ったよ?」
突然話が変わって不思議そうなレンに、ゆっくりと言葉を続けるイタチ。
「なら、苦手なことがあった時、仲間の手を借りるのは当然だろう?」
「うん?」
素直に相槌を打つレンだが、話の趣旨は分かっていないのだろう。
察しの悪いレンに苛立ったアスカが眉を吊り上げて怒鳴ろうとするが、イタチが一瞬早く言葉を続けた。
「わかっているなら、今度から、アレ、の始末は俺かアスカに任せろ。いいな?」
「え?いやだから!
苦手だけど、出来ないわけじゃないんだから、自分のことは自分で、」
「あー!うっせー!いいからお前は俺たちに頼ってれば良いんだよ!!分かったか馬鹿レン!」
「だか、」
「わかったな!」
「ア、」
「わ、か、っ、た、な!」
「・・・は、い。・・・・よろしく、お願いします・・・・」
真面目に言うが、内容は高が家庭内害虫一匹についてだと思うと、微笑ましさに口元が緩んだ。が、あえて重々しくイタチが告げた。対するレンは未だに渋って反論の声をあげたが、とうとう切れたアスカが無理矢理押し切る。レンの反論を尽く斬り捨てて了承を取り付けた。やり方が強引過ぎる、と嘆息するイタチだが、とりあえずレンの説得は完了したのだから良いか、と完結させた。
「よし、では続きを終わらせるか。早く片付けなければ日が暮れる」
「おー。・・・・また出たら、素直に呼べよ?」
「う、・・・」
「呼べよ?」
「はい・・・」
そしてイタチの号令で再び倉庫整理に戻る。
下に降りるイタチの耳に、アスカが念を押す会話が聞こえてきて、今度こそ口元が緩んだ。
「微笑ましい事だな」
御年八歳の少年が浮かべるには老成しすぎた表情で、班員二人を見守るイタチ。
まるで面倒見の良い長男と、じゃれあう弟妹、のような光景だった。
++
・・・書きたかったのは、女体化したことによる感覚の違いに四苦八苦するレンと、からかう機会は逃さないアスカ、ナチュラルに妹を甘やかし弟を微笑ましげに見守るイタチ、・・・だったんですけどねー?・・・・うまくいきませんね。
うーん、碇レンの下忍時代は、アカデミー生の頃はまだ幼い所為で実感しなかった「女性意識」が目覚め初めて戸惑う時期、って感じで考えてまして、恋愛感情はまだ早いですがそれ以外・・・・男の子の幼馴染二人との身長差とか体力差とかに悔しく感じたり、「シンジ」としての感覚との違いに混乱したり、を書いてみたいんですよ。で、そんな悩みを幼馴染sとの交流で克服してった過程とか。
後は碇ゲンドウとのぎこちない親子関係への悩みとか、結局決別した時に傍で支えてくれた幼馴染sとの絆とか。反対に、アスカが両親への葛藤に決着をつける時にはレンとイタチが支えてたとか、うちは一族の闇を知らされて悩んでた時に傍にいてくれたレンとアスカに心を救われていたんだとか。
そういう紆余曲折経て強い絆構築してた三人も、一つの切欠で疎遠になってしまって、それでもお互いが大事な気持ちは変わってなくて、言葉を交さなくなって簡単に会えない立場になっても、永遠に特別のまんまだとか。・・・・・上手く表現しきれるようになったら良いよねー、と他人事みたいに天に祈るしかないわけですが。
物語前夜シリーズで書きたいのはそんな感じで。
本当すみません・・・・・
3.マグカップは冷めている
ナルトは不思議に思っていることがある。
ナルトにとって初めての友人である年上の少女の事だ。
二年前の春、ひょんなことから知り合った彼女は、里の外れの古い屋敷に一人で住んでいる。詳しく聞いた事はないが、何やら血族との間に悶着があったらしくほぼ絶縁状態で下忍時代からそこで暮らしていたらしい。まあナルトもヒトの事は言えないが、其々言いにくい事情を抱えた人間など珍しくもない。特に此処は忍の里だ。任務私情関係なく秘密ごとなど沢山あるだろう。だから込み入った事情を根掘り葉掘り聞きだすつもりはなかった。必要になったらきっと自分から話してくれるだろう、と楽観していた事もある。あれ程里人を嫌悪していた自分が、その里人の一人である彼女を信用している事実に驚くが、不快ではない。
そこまで考えて、一人でくすりと笑う。
「ナルト?どうかした?」
その声に気づいたレンが振り返る。手には暖かいココアが入ったマグカップが二つ。ナルトが甘いものが好きだと知ったレンが、友人からの土産だがと誘ってくれたのだ。そんな他愛ない誘いの言葉が何より嬉しいのだとナルトはにこりと笑った。
「なんでもないってば!」
”表”用の子どもっぽい口調で返してみる。レンは、いつも彼女と話す時と違う言葉遣いに少しだけ目を見張って、直ぐに破顔した。面白そうに笑いながらナルトの顔を覗き込む。
「それが、”普段”の喋り方?可愛いね」
「そうかってばよ?」
「うん。変わった口調だけど、自分で考えたの?」
「あはは!内緒だってば」
「そっか。残念」
「へへ」
話しながら手際よく用意される菓子に目を輝かせるナルトに、微笑ましげな視線を向けるレン。動作も殊更幼げにしてみせると更に視線が和らいだ。どうやらレンは小さい子どもが好きらしい。以前見かけたアカデミー勤務中の彼女からそうだろうとは思ったが案の定だ。想像通りの反応にこっそり笑いをかみ殺す。
「ふふ。口調が変わると印象も変わるねー。うん可愛いよ?」
思わず、というように頭を撫でられる。そこまでされて、少しだけ面白くなくなってきたナルト。確かにレンが喜ぶかもと思ってやってみたが、ここまであからさまに嬉しそうにされると、いつもは可愛くないのかよ、と言いたくなる。無意識に口を尖らせてしまう。
「レン姉ちゃんも、こっちの方が好きかってば?」
”表”用の仮面を被ったまま、聞いてみる。言った瞬間、しまったと思ったが、答えは気になったのでレンを見上げて反応を待つ。
「ええ?」
ナルトの突然の質問に本気で驚いたらしいレンが、眼を丸くして此方を見ている。
レンが答えるまでの間を誤魔化すかのようにカップを口に近づける。言ってしまってから、我ながら何言ってんだと自分に突っ込む。まるで、”表”向けの自分に嫉妬してるみたいじゃないか。
「そんなことないよ?いつものナルト君も可愛いよ?」
「っぶ!」
だが返った答と、本気できょとんとした様子のレンの表情に、口に含んだココアを吹いてしまった。
「げっほ、ごほ!」
「ちょ、大丈夫?!やだ、火傷はしてない?あ、タオル!!」
慌ててナルトを水道に引っ張り、蛇口をひねるレン。両手を流水に当てさせ、舌を火傷しただろうと口の中に氷の欠片を放り込まれる。慌てながらも鮮やかな手つきに抵抗の糸口も見出せないナルト。タオルを求めて走り去るレンを制止しようにも咽こんでしまって言葉にならない。必死に喉を宥めながら、顔が赤くなるのが抑えられない。
「はい!タオル!どうしたの、まだ痛い?」
手にタオルを握り締めて戻ってきたレンから隠すように顔を伏せる。
「ごめんね、そんなにココア熱かったかな。ごめんね、」
だが誤解は解いておかねばならない。本気で落ち込むレンを放置しては何処までも後ろ向きに沈みこんでしまう。この二年の付き合いで彼女の性質をほぼ看破しているナルト。数秒前の己の動揺を無理矢理抑えて冷静に言葉をかけた。
「いや、ごめん。ちょっと咽ただけだ。気にするな。お前のせいじゃない」
「でも」
「気、に、す、る、な?」
語調を強めて念押しをする。レンが押されると弱いことも分かっている。こういう場合は無理を通して道理を引っ込ませるのが最善の対処法だ。身内に弱い彼女なら、多少の暴論も通しきってしまえば誤魔化しきれる。
「えと、うん?でもごめ、」
「悪かったな、せっかく淹れてくれたのに」
「や、気にしないで!火傷しなくてよかった」
「ああ、」
最後まで言わせず会話を続ける。そ知らぬ振りで席に戻って残りを飲み始める。レンも吊られるように向かいの椅子に落ち着く。後は他愛ない話題を振ってしまえば話題の摩り替え終了だ。直ぐに忘れるだろう。
「(にしても、いつもの俺も、か、可愛いってなんだよ?!)」
だがナルトの方はココアを吹くなどという失態の原因を忘れられない。表情には出さずに身悶える。我ながらこれほど可愛げとは程遠い子どももいないと思っていたのだが、レンは可愛いと思っていたということだろうか。
別段子ども扱いなどされた事はなく、いつでも彼女はナルトを対等の人間として接してくれる。それが嬉しくて、監視に目を付けられない範囲で足繁く通っていたのだが・・・・
「(なんか、さっきと違う意味で面白くねー)」
胸にうまれたもやもやとしたものを忘れたくて、視線を迷わせる。何か目新しいものはないのかと泳がせた視線に、一つ気になるものが映った。
そういえば、前々から不思議には思っていたのだが。
「なあ、レン」
「なに?」
「あれ、なんでいつも量が多いんだ?」
あれ、と指し示された場所に視線を向けたレンの表情が強張る。しまった、と思ったが口にした言葉は戻せない。撤回するべきか、と迷うナルト。だがレンの言葉の方が早かった。
「ああ、うん。・・・あれね、」
柔らかく細められるレンの眼差しの先には、二つのマグカップ。
先ほど淹れてくれたココアが注がれたままひっそりとシンクの片隅に置かれている。
思い返せば、彼女はいつもお茶や菓子を、二人分にはすこし多い量を用意していた。それも無意識に。いつも淹れ終わってから少しだけ戸惑うようにしてから、二つ新しくカップや皿を取り出してその中に多い分を入れる。そして、ナルトがお代わりを所望するとナルトの分は新しく淹れてくれるのに、自分の分は取り置いた方を持ってくるのだ。最初は単純に分量を間違えたのかと思ったが毎回となると気になる。機会があれば聞いてみようと思ったのだが、聞いてはいけない類の事だったか。
「あれは、うん。今は、・・帰ってこない、かぞく、の分かなぁ」
かぞく、と掠れる様な声で呟いた。その言葉を始めて口にしたかのようなあやふやな口調で、頼りない笑いかたで。それでも視線は酷く愛しげで、大切な宝物を見せる子どものような密やかな誇らしさを湛えていた。同時にとても切なげで、目を伏せたレンの口元が自嘲するような歪みを含んでいたのが気になった。
そして、彼女が二人分を多く用意する癖を見せ始めたのが、本当に最初からではないことも思い出した。その頃に、何かあったのだろうか。
「そうなのか。なら、早く帰ってくるといいな」
だがその全てには触れずに、ナルトは無邪気に笑って見せた。
此処は忍びの里なのだ。レンが家族と呼んだ誰かが帰ってこれない事情など、推測だけなら沢山できる。ならば本人が口にしない以上深入りすべきではない。ただ、レンが、その誰かの帰りを望んでいるのだという事だけは分かった。だから、それだけを口にした。
ナルトの言葉に一つ瞬いたレンが、次の瞬間浮かべた嬉しげな笑みを見て、その顔を見れたなら、それだけで十分だと思った。
視界の端に、湯気の消えて久しい冷たいマグカップが二つ、寂しげに置かれている。
管理:吟
御題配布サイト「age」(管理人吟さま) http://pick.xxxxxxxx.jp/からお借りした
「さるしばい家族の10題」 より、「3:マグカップは冷めている」
*本編前の過去編
*ナルトは出てきません。
*碇レンと二人の幼馴染(うちはイタチと惣流アスカ(♂))でスリーマンセル時代の日常風景
*シリアスほのぼの半々位
*三人とも自分の家に対して辛口です。
*時々木の葉にも辛辣です。
・・・・雨が、降っている。冷たい、雨が。
”過去”の世界で、幼少時お世話になった先生のお家。自慢気な子どもの声。
息子達には優しい奥さんの言葉。自分のいない場所で繰り返される忌々しげな繰言。
一度も振りかえらなかっった父の背中と真夏のホーム。
暗い帰り道、土手の影に見つけた自転車。
捨てられた自転車と、捨てられた自分。
その時も、雨が、降っていた。
一年中夏である日本では珍しく、酷く冷たい雨が。
「(雨、・・・あの時、拾いたかったのは、自転車、じゃなくて)」
夜の交番。暗い外に見えた傘の色を認識した時、自分は最初、何を考えたんだっけ。
「(今更、だなぁ。本当に、今、思い出すことでもないのに。)」
それでも、”あの時”呼ばれたことが嬉しかったのだ。本当に。
無人の改札と、無人の街の向こうに見たのが、怪獣映画さながらの、戦争風景だったとしても。
「(”父さん”と、父上は、違う人なのに、・・・似ているよ。本当に)」
例え、父が望んでいるのが、自分に移る母の面影だけでも構わなかったのだ。
「(少なくとも、今回忍になると決めたのは、自分の意思だもの。)」
・・・・本当に?
「だー!くっそ、んでこんな場所で雨なんか降りやがるか!」
「騒いでも仕方がないだろう。どう頑張っても人里まで間に合わない距離なんだ。」
「わかってるっての!・・・こんな場所じゃ天気が読めてもどうしようもねぇな。・・・なあ、・・おい?」
「へ?」
「どうしたんだよ。いつも以上にボケてるぜ?」
サバイバル訓練を兼ねた比較的遠方へのお使い任務の帰り道、里への近道にと普通の旅人は使用しない森の中で降られた雨に足止めを余儀なくされたレンたちは、目に付いた大木の下で雨宿りをしていた。
下忍班の任務には基本的に教師が同行するのが規則だが、実戦経験をつむという名目で多少の放任が許可されることもある。特にレンもイタチもアスカもその実力は高く評価されている”注目株”だ。次回の中忍試験に向けての修行も兼ねて、近場の任務ならば時々三人だけで請けることが増えた。まあ、完全に三人だけというわけではなく気配を消した教師がきちんと監視に就いた上でだ。幾ら担当教師が上忍であっても、三人はある意味里の最高水準の教育を受けたサラブレッドである。何せ里が誇るうちはの嫡男と、血継ではなくとも旧家として歴史を重ねた家の出だ。上忍相手といえど、気配を察知するくらいは容易い。だから、今も監視中の教師の位置を把握した上で行動している。それに安心して気を抜くという愚を冒すこともないが、任務中の行為の許容範囲を図る目安に丁度良い、と言っていたのはアスカだったか。
今回もそんな任務の帰りだったのだ。若干早く目的地にたどり着いたお陰で早めに里に戻れると思っていた矢先の事だ。多少落胆しても仕方がない事だろう。どう見てもしばらく止みそうにない雨に苛立たしげに舌打ちしたアスカが横で同じように空を見ていたレンに話を振った。だが答がなかった事を怪訝に思ったアスカが、ぼんやりと黙ったままのレンの顔を覗き込む。そこでやっとアスカに話しかけられていたことを認識したレンが間抜けな相槌を洩らした。任務帰りの安心感から気を抜いて、埒もない事をぐるぐると考えていた為彼の言葉を聞き流してしまったようだ。済まさそうに苦笑してアスカを見上げるが、その様子を見たアスカとイタチは眉を顰めた。
「どうした、寒いか?」
「火でも起こすか。どうせこの分じゃ後2刻はやまねぇし。
ここなら問題ねぇだろ。」
「・・・あ、や!ごめん、ちょっと凄い雨だなって思っただけだから!」
無表情ながら穏やかな視線でレンを気遣うイタチと、既に乾いた枝を拾い始めたアスカを見て慌てるレン。幾ら帰路の途中で比較的安全といっても森の中で火など起こすのは躊躇われる。敵に追われるタイプの任務ではなかったが、人里はなれた森の中に潜んでいる状況で居場所を誇示する行動は誉められたものではない。
「平気だろう。この木の大きさなら根の影になって光は漏れにくい。
雨が降って暗いとはいえまだ午前中だ。多少ならば目立たん。」
「ここで風邪ひくのも馬鹿らしいだろ。俺も服湿らしたままは勘弁して欲しいしな」
「えと、・・・・・ごめん。ありがとう」
「べ、別にっ。俺が嫌なだけで、お前の為じゃねぇよ!」
「(素直だな。)」
「(素直じゃないなぁ。)」
逡巡して、此処は素直に二人に甘えるべきかとお礼を言うと、途端に顔を赤らめたアスカが動きを速めて言い捨てる。そのあからさまな照れ隠しを目撃したイタチが微笑ましげに瞳を細めて携帯燃料を取り出す。レンもくすくすと笑いながら焚き火の準備をてつだった。レンとイタチの言葉は正反対で心情は一致した内心の呟きに気づいたのか更に顔を赤くするアスカが何事か言い募ろうとする。が、何を言っても墓穴を掘るだけだと思ったのか結局舌打ちにとどめて火の傍に乱暴に座り込んだ。
「で、何考えてたんだよ?」
「あ、えと、・・や、大したことじゃ、」
「大したことがないなら言えるだろ。」
気を取り直したアスカがレンに問い直す。以前から、この幼馴染が雨を苦手とする事には気づいていたが任務帰りとはいえ、解散してない内に声を賭けるまでぼんやりするなどということは無かった。普段は本気で鈍臭い奴だが公私は分ける。公である任務中に気を抜く瞬間があったというだで十分心配の種である。口調を強めて問いかけるアスカ。案の定否定しようとするレンに、眉を吊り上げて凄む。押しに弱いレンは困ったように視線を泳がせるが、向かいに座ったイタチも気になるのか助け舟は出さない。
「・・・・ホント、大したことじゃないんだけど、」
「だが、気になる事があるのだろう。」
「いいから言えって!」
まだ迷う口ぶりのレンに、イタチとアスカが話を促す。幼馴染二人の心配を含んだ視線に負けたレンが情け無さそうに眉を下げてポツリと話しはじめた。
「・・・届け先の村で、市がたってたでしょ?」
「ああ?まぁ賑やかではあったな。」
「そこで、さ。小間物屋さんが集まってる一角で、
・・・お母さんに、新しい傘、を買ってもらってる子が、いた、の」
「まあ、この時期なら珍しくもねぇだろ。」
相槌を打つアスカに頷くレン。実際目にしたのはもう直ぐ梅雨に差し掛かるこの時期ならば、珍しくもない当たり前の光景だった。
小さな子どもが、新しい傘を買ってもらって、母親に満面の笑みでお礼をいっていた。・・それだけだ。
「そう、だね。」
「・・・で?」
「や、それだけなんだけど。」
怪訝そうに続きを促したアスカに気まずそうに応えるレン。イタチは黙って聞いている。
「はぁ?んな事で、お前があんな気ぃ散らすわけねぇだろ!いいから全部言えっての!」
「あ、と、・・・ふゎあ?!」
言いよどむレンの頭を隣のイタチが突然撫で始めた。遠慮のない力で、髪が絡まるのもお構い無しにぐりぐりと。
「・・・てめ、何してんだ突然!!」
「ちょ、イタチ?!どしたの!」
「レンの頭をなでているんだ。」
レンの要領を得ない話に早くも苛立ち始めていたアスカが、イタチの奇行に怒りの矛先を変えて怒鳴る。レンも目を白黒させて、イタチを見上げる。当のイタチはしれっと答えて、尚も掌を動かし続けた。更に声をあげるアスカの怒りなど全く気にした素振りも見せない。
「見りゃわかんだよ、んな事は!じゃなくて、何でそんな事してんのか聞いてんだ!」
「ふむ。」
「イタチ?」
そこで、また唐突に動きを止める。そして絡まってしまったレンの髪を丁寧に梳き始める。労わるように、ゆっくりと。その優しい仕草に安心したように、レンが肩の力を抜いた。ぎりぎりと睨みつけるアスカを横目に、イタチがぽつりを呟いた。
「・・寂しがってる子どもは、甘えさせてやるものなのだろう?」
「は、」
「え、」
何を当然の事を、とでも続きそうな口調でイタチが落とした爆弾発言に、レンとアスカが固まる。一瞬の間を置いて、顔を真っ赤に染め上げた二人。立ち上がってイタチの胸倉を掴みかからんばかりの剣幕のアスカと、慌てて身を乗り出したレンが反論する。
「だ、な、・・てっめ、何恥ずかしいこと言ってんだ!」
「子どもって、私のこと?!」
レンとアスカに同時に詰め寄られたイタチが、更に首をかしげて答える。何故反論されるのか分からない、と雰囲気が言っている。
「レンが言った事だろう。前に、子守任務で。」
「え、と。いや、言ったけども!」
「ありゃ、ちっさい餓鬼の話だろ!こいつは俺らと同じ年だぞ!確かにあの時の餓鬼のほうがしっかりしてたが!」
「ちょ、アスカも酷いから!あの子ってまだ5歳よ?!私もう9歳!」
「大して変わらん上に、お前が餓鬼なのは事実だろうが。」
「アスカも同い年でしょ?!」
「お前と一緒にすんな。このアスカ様が餓鬼なわけねぇだろ。」
「なにその自信?!」
イタチの発言に反論するアスカ。更にアスカの発言で五歳児よりも子どもだと断言されてレンが食ってかかるが鼻先であしらう。売り言葉に買い言葉で言い合いを始めた二人の様子を眺めながら続きを口にするイタチ。
「だが、寂しかったんだろう?お前は、その仲の良い親子を見て」
「・・・・!」
その、言葉に、レンが絶句する。
・・・図星、だったのだろう。イタチに言われて、初めて気づいたかのように唖然とするレンが段々と顔を俯ける。そのレンの表情で、イタチの言葉が核心であると悟るアスカ。複雑な表情で口を噤んでレンを見下ろした。
アスカ自身も、両親には思うところがあって、”仲の良い親子関係”などとはほぼ無縁だった。そこから考えれば、レンが何を考えてぼんやりしていたのか、推測できるきもした。勿論本当にあっているかは分からないが、瑣末事だと斬り捨てて良い内容ではないだろうと思う。だがレンは違ったようだ。段々と恥ずかしさが込み上げたのか顔を伏せたまま耳を赤く染めるレンが、漸う口を開いた。
「なんで、分かるの。」
「お前は、分かりやすい。むしろ何で気づかないと思うかの方がわからんが」
淡々と語るイタチを一瞬睨み上げてから、レンは深々と溜息を吐いた。
「ごめん。情けないね、この位で気を散らすなんて。」
本気で申し訳無さそうにイタチとアスカに謝罪するレンの表情に、黙っていたアスカが再び怒鳴る。
「お前は!そこで謝るんじゃねえよ!」
「だって、任務中に、」
「だが、俺もアスカも謝られることはされていない」
本気で怒っているアスカに言葉を重ねるレンを宥めるようにイタチが重ねて言った。諭すように続ける。
「謝ってくれるのなら、気を散らした事ではなく、悩みを素直に打ち明けなかった事のほうにしてもらいたいな。」
「お前が言ったんだろ!俺達は三人でスリーマンセルの仲間だろうが!協力できる事は協力しあって、支えあえる事は三人で支えあおうって言ったんだろ! そのお前が、勝手に一人でうじうじして自己完結してんじゃねー!気がかりがあるなら言えってんだよ!」
荒々しく言い切ったアスカと、重々しく頷いて同意を示すイタチに、視線を往復させてぽかんとするレン。その表情に驚愕が張り付いている事に気づいた二人がそれぞれ眉を顰めて、同時に動いた。
「って、いひゃいいひゃいいひゃい!」
そして両側から、レンのほっぺたを引っ張り始める。手加減はしているが、容赦なく、むに、っと。
途端悲鳴を上げるレンが必死に両手で抵抗するが巧みな力加減に中々外せない。とうとう涙目になったレンをみたイタチの合図で、舌打ちしつつも手を離すアスカ。赤みは残らない程度とはいえ忍として鍛えた少年二人の攻撃である。痛みの残る頬を擦って涙目で睨むレン。
「~~~~!酷くない?!手加減してよ!」
「してやったろうが」
「加減はしたぞ?」
同時に返った答えはにべもない。
「お前が下らないことをぐちぐち気にするからだろうが!どうせ内罰思考で袋小路に嵌るだけだろ! だったら素直に吐きやがれ。」
「一人で思い悩むより、何でもいいから口にして見れば良い。
誰かに話してしまえうだけで解決することは意外と多いぞ?」
アスカとイタチが其々に言った。轟然と腕を組んで見下ろすアスカの自信に満ちた表情と、淡々と話すイタチの穏やかな表情に先ほどとは違う意味で赤くなった頬を隠すレン。蚊の鳴くような声で、ぼそぼそと答えた。
「・・・・ありがとう。」
そのレンに、殊更大きな溜息を吐いてみせるアスカが乱暴に座りなおし、素っ気無く頷いたイタチが焚き火を掻き回す。
「ったく、だから馬鹿レンだっつーんだよ。今更な事言わせやがって」
「お前は一人ではない。俺達がいるだろう」
レンに視線を向けずに呟かれた言葉をかみ締めて、赤いままの顔を伏せて膝を抱えた。
焚き火だけではない暖かさに、いつの間にか雨音が気にならなくなっていた事に気づく。
まだ雨は苦手だけれど、先ほどまで頭を占めていた事は消えていた。
「(大丈夫。大丈夫。今度は、間違えない。きちんと考えて、選ぶ。・・選べる。)
ありがとう。」
雨が、そろそろ止み始める。
三人で、里に帰らなければ。
明日は、きっと良く晴れるだろう。
大丈夫だと、無邪気に信じたがっていた、子ども時代の初夏。
+++++++++++
お題配布サイト「age」(管理者吟様)
http://pick.xxxxxxxx.jp/ より
「さるしばい家族の10題」 1:傘が欲しい
*『物語前夜』(惣流アスカ)→(うちはイタチ)→で続いた三部目
*本編前の過去編
*レンと二人の幼馴染
*第一夜に少しだけリンクするレンの過去話
*レン以外のエヴァキャラが性別逆転して登場します。
「・・・・イタチ、が?」
最初、なんの冗談だと笑おうとした。呆然と見上げたレンを見下ろす青い瞳が縋るような色を浮かべていなかったら、笑って軽口を返せたはずだ。
「一族を皆殺しにして、里をぬけた。・・・お前は、何も知らなかったんだな?」
いつものアスカからはかけ離れた淡々とした口調は、全てを隠そうとして、反ってその内心を浮き彫りにしていた。
自分は、どんな、顔をしていたんだろう?
「しら、ない。」
「そうか。」
緩慢に持ち上げられたアスカの掌が、綺麗な朱金の髪を掻き揚げる。日の光に照らされてきらきらと輝く絹糸のような髪が、視界の端で踊る。
「多分、俺達も取調べに呼ばれる。」
「そう、だね」
最初に合わさったきり、逸らされたままのアスカの視線の先をレンも追う。自宅の縁側から見える木々の隙間に、鳥が何かを啄ばむのが見えた。指先が冷たくて、両手を合わせる。隣に座り込んで表情を動かさないアスカは、どうだろうと考えて、腕を持ち上げかける。
「・・・俺も、知らなかった。」
ポツリと落とされた声が、場違いなほどに明るかった。空っぽで、冷たい口調で、表情も動かないまま、声音だけが不自然にいつもどおりのアスカの声だった。首が下がって、長い髪が表情を隠す。タイミングを逃した掌を伸ばすことが出来ないまま、レンもいつもの声を保って相槌を打つ。
「そう。」
触れ損ねた掌を、自分は無理矢理にでも握り締めるべきだったのだと、思い返す。
少し前に知り合った小さな男の子が、暗い闇の中でも眩しい金糸を靡かせて目の前に降り立った時、自分はどんな表情を晒していたんだろう。
この子の前で、あまり情けない顔を見せたくは無かった。
どんな理不尽を押し付けられても、強い眼差しを翳らせる事無く前を見据え続けるこの子には、少しでも強い自分を見て欲しいのだ。
けれど。
「・・・私は、また、間違ったんだね。」
あどけない顔で眠るナルトが、布団に寝かしつけた時にいつの間にか握り締めたままの自分の手を見て眉尻を下げて哂った。
火影様に頼んだ修業の成果が実って、秘密裏に暗部に配属が決まったのだと嬉しそうに教えてくれた子ども。
ならお祝いに、とあり合せの材料で申し訳なかったけれど、できる限りのご馳走を作ったら満面の笑みで喜んでくれた。無邪気に笑ってくれるから、つられたレンも一緒にはしゃいでしまった。作った料理を食べて、お腹が一杯になったのか目を擦るのに気づいて送るべきかと迷っているうちに眠ってしまった。心配をかけてはいけないと式神に手紙を預けて布団に運んだナルトの手を布団に入れようとした時に、温もりに擦り寄るように腕を掴まれた。自分よりずっと小さいのに暗部になるだけあって力が強くて転がってしまった自分に抱きつくように寝返りを打つナルトを起こす気にもならずにそのまま横で添い寝する体制で、闇の中に置き去りにして逃げてしまった幼馴染を想った。
「ごめん、アスカ。」
イタチの起こした不祥事は、前代未聞の醜聞として口外禁止が言い渡されている。それでも隠しきれるような事件ではないからほぼ里中が知っている。レンとアスカが、イタチの幼馴染で仲の良い友人として交流を持っていた事も。だから、何か知っていたのではと疑われて取調べを受けるのは最初から分かっていた事だ。事件の内容が内容だから多少厳しい尋問を受けても仕方ない。アスカもそれは大して気にしていなかった。
イタチが、何を思って一族を滅ぼしたのか。本当にイタチがやったのか。
手を下したのがイタチであっても、イタチが考え抜いたのなら、それはイタチにとっては譲れない事だったんだろうとか。
考える事は、幾らでもあった。アスカにとってもレンにとっても、イタチとうちは一族ならば、イタチのほうが大切だった。だから、薄情な様でも、うちは滅亡の事実はどうでも良かったのだ。知りたかったのは、考えたかったのはイタチの事だけだった。イタチも、アスカとレンを少なからず想ってくれていたのだと、今でも信じている。お互いが、特別な位置にお互いを置いていた。・・・三人で交わした約束は、今でも守られたままだ。ならば、イタチの行為は、自分たちにとっては裏切りにはなりえない。イタチは確かに里を裏切ったのかもしれなくても、レンを、アスカを、裏切ったわけではない。たとえ立場が敵対者に変わったとしても、それは裏切りではないのだ。それを今でも、信じているのだ。
そう、信じている。
それは、今生で忍になると決めた時に己に課した誓いでもあった。
けれど。
目頭が熱くなって自由なままの掌で覆う。
アスカが何に怒っているのか、分かっていた。
レンに対して問うていたが、あれはアスカの思っていたことでもあったはずだ。
イタチは、いつか行ってしまう、と。
昔は、何も無くても互いの家を行き来していたのに。任務帰りに薬の補充ついでに泊まっていく事も珍しくなかったのに。その為の着替えや私物が置いてあった筈の客間は其々の私室同様だったのに。
「何時の間に、何にもなくなっちゃってたのかな・・・」
いつからか、掃除のたびに、衣服の虫干しの度に、触れる機会の少なくなった二人分の着替え。客間に置いてあった筈のイタチの物が減って、薬の補充に寄ってもまた次の任務や一族に関する実務があると帰ってしまう事が続いて。中忍と暗部なのだから仕方ないと想いつつ、任務の時間のずれから顔を合わせる事も無くなって。
まるで、関係を断ち切ろうとしているみたいだと、思った。
「最初は、恋人でも出来たから誤解を招きたくないんじゃないか、なんてアスカと笑ってたのに」
たまにしか会えなくても、昔みたいに優しい瞳で話しかけてくれるのが嬉しかった。
けど、別れる瞬間に、酷く暗い目をしていなかったか。
表情を変えることがないといっても、もっと柔らかな雰囲気だったはずじゃないのか。
・・気づくべきだったんじゃないか?あれはイタチの精一杯の信号ではなかったか。
問い詰めておくべきだったんじゃないか。否定されても肯定されても、自分から、もっと。
「ごめん」
「う、ん」
はっとして見下ろす。寝返りを打ったナルトの表情を確かめて、起きていないことを確認する。つい考えに没頭してしまったが、煩かっただろうか。だが、心音や呼吸音に耳を澄ませても乱れはない。熟睡している事を確認して、寝返りの拍子に緩んだ掌から自分の手を外して部屋を出た。
そっと廊下を戻りながら、空の掌を緩く握り締める。
無邪気に笑ってくれるナルトの温もりが暖めてくれたのは、手だけではなくて。
「・・・あんな風に言わせちゃうつもりはなかった、なんて、言い訳だよね。」
レンを詰りながら、傷ついた瞳で、アスカが訴えたかったのは。
「無理にでも、手を繋げば良かった、ね」
レンを感情のままに罵りながら、頑なに身体の両脇から動かなかったアスカの腕を、掴めばよかったのだ。
ナルトが、無邪気に笑って抱きついてくれた時に、泣きそうになってしまったのは。
眠った時に無意識にでも手を掴まれた時の温もりに、強張った体が安堵したのは。
「・・・触れておけば、よかった、ね。」
イタチの悩みにも。アスカの慟哭にも。
もっと、まっすぐぶつかるべきだったのだ。
「ごめん、ね。・・・・・逃げないって、決めたはず、なのに、なぁ」
約束は、守られたままだ。
けれど、なのに、それだけに縋った己の弱さが招いた”今”が、
ナルトが、触れてくれていた掌が、熱かった。
その熱が、身体の奥で凍ったものを溶かしてくれる様だった。
ゆるゆるとこみ上げるものを、抑える気にはならなかった。
「ごめん、ね」
約束は、自分の支えだった。それが無ければ、今まで生きる事を選べなかった。
支えだった。けれど、それに縋るしかしなかった己が、ただ、情けなくて悔しくて憎くて。
約束は、守られている。なのに、自分は。
眦が震える。目頭が熱くて、米神が傷んだ。
視界が歪んで、唇が戦慄いた。それでも声をあげる事だけは堪えた。
ナルトの温もりが溶かしてくれたものが、己の痛みを和らげる。
同時に、何処までも自分しか護れない弱さがさらけ出される。
声を、あげない事だけが、最後の意地だった。
涼やかな夜の風に誘われるように庭に降りる。
もう二度と、”彼ら”が踏む事のないだろう、”いつもの”出入り口を通って、ゆっくりと。
ナルトを起こさないように、声は出さずに。気配もなるべく殺して。
庭の隅。いつもイタチが家を訪ねるときに、レンの許可を待っていた場所に蹲って。
”彼ら”に伸ばす勇気のもてなかった情けない掌をきつくきつく握り締めて
空の掌を暖めてくれた熱の名残を逃さぬように、胸に抱いて
静かに、泣いた。
*『物語前夜』(惣流アスカ)→から続いてる二部目→(碇レン)に続きます。
*本編前の過去編
*レンと二人の幼馴染
*第一夜に少しだけリンクするレンの過去話
*レン以外のエヴァキャラが性別逆転して登場します
幼馴染二人へのイタチの想い
ふ、と目が覚める。
辺りは既に暗い。薬の調合法の書付を整理しているうちに寝入ってしまったようだ。少しだけ開かれた木戸の隙間から見える月の位置から計るに夜の11時くらいか。夕焼けに赤く染まった空の色をふと見上げた記憶から途切れている事を考えると、少なく見積もっても5・6時間は眠っていたらしい。ここ一週間で合算の睡眠時間が10時間弱だったと言う事を差し引いても寝すぎである。幾ら正式な戦忍ではないからといっても情けない位の己の体力の無さを実感して軽く落ち込む。
「あぁ、もう!!
だからひ弱だとか、軟弱だとか馬鹿にされるのかなぁ。はぁ。
・・・まぁいいか。一回寝ちゃったんだから、少し食事とかして頭切り替えようかな」
深い溜息を溢しながら少しだけ愚痴を言って気分を変えようと勢いよく立ち上がる。柔らかな月の光に気持ちよさ気に目を細めつつ手早く書類や筆記具を片付け、書庫を出るため戸に手をかけた。
その時、静かな夜の空気が幽かに揺れた。獣ではない。巧妙に隠されてはいるが、誰か人間の気配だ。この屋敷が建つ土地は里の外れで、数年前から疎遠となった親戚連中を含めても用がある者等片手に満たない場所だ。しかも時間が時間であるから、普段であるなら誰か他人の気配など感じる筈もない。けれど、少女はちらりとも視線を向けることなくそのまま書庫を後にする。誰が訪ねて来たにしろ、急を要するなら気配を消して忍んできたりせず正面から入って来ればいいことだ。ならばどうせまた分家の人間が嫌がらせを兼ねた監視でも寄こしたのだろうと無視を決め込む。例え大事な用事であっても、自ら出迎える気にはならず、お茶でもいれようと台所に向かう。
と、途中で足を止めて振り返る。空気に混じる血臭に気付いたからだ。
同時に訪問者が誰かを悟り顔を顰めて方向をかえる。恐らく仕事の帰りで自分のか敵のかは知らないが、少し離れても匂いが届く程度には血で汚れているのだろう。そのまま家に入ればいいものを、室内を汚すのを躊躇って律儀に外で待つ彼の姿を思い起こして溜息を吐く。
普段は冷徹と言われるほど他者の存在など視界に入っていないかのような態度で気ままに振舞っているというのに、身内にカウントした相手に対しては変な気遣いを発揮する。その癖時間など気にせず訪ねてくるからわけがわからない。本人にとっては明確な基準があって行動しているのだろうが、そういうちぐはぐさが周囲の言うところの近寄りがたさを演出しているのだろうか。最もレンにとってはアカデミー入学前から付き合いのある幼馴染と言える相手だ。同僚や里人が彼について何と言っているかは知っているが、彼女に言わせれば只単に周囲に合わせたりするのが面倒で、態とぞんざいに振舞っているようにしかみえない。感情の機微が分かり難い性質であることも手伝って無意味に威圧感を与えるのは事実だが、一度理解してしまえばそれ程付き合いにくい相手ではないと思う。
(確かにとっつきにくいけど、そんなに怖がる必要もないと思うんだけどなぁ?
まぁ、本人が気にしてないんだから別にいいけどね。
・・・まったく。何回言っても聞かないんだから。今更遠慮も何もないと思うけど。)
「おかえりなさい。・・汚れてても気にしないでいいから、早く入って。
その血は自分の?敵の?
自分のなら何処を怪我したのか正直に言いなさい。・・・・イタチ。」
言うと同時に、庭先に漆黒の影が降り立つ。
黒い髪を後ろで束ね感情を何処かに置き忘れたかのような鉄面皮。レンと同じ年の筈なのに、どこか老成した空気を纏った少年が、一目で任務帰りだと知れる姿で立っている。一見しただけでは何処も汚れていないように見えるが、更に強くなった血臭を感じて言葉が少しきつくなる。だがイタチは動じることなく静かな仕草で否定して縁側から室内に上がりこむ。
(動きに淀みはなし。
血の臭いはするけど、多量、ではない位。・・返り血、かな)
視線だけでざっと確認して、イタチに向き合う。
真っ直ぐ見据えるレンに視線を合わせたイタチは、口元を隠していた布を下げると少しだけ笑ったようだった。
縁側に上がりながらイタチは苦笑する。
怪我の有無を確認するように体を見渡す少女の視線に目を合わせて口を開いた。
「怪我はない。少し梃子摺って返り血を浴びてしまっただけだ。
・・・すまないな、今回の任務で薬を使い切ってしまったんだ。
同じものを用意してもらえるか?」
「了解。丁度新しいものも補充して整理し終わったところだから。
いつものと同じ量でいいの?
(・・珍しい。そんなに大変な任務だったのかな? 何時もより疲れてるみたいだし。)」
抑揚なく淡々と話すイタチの静かな表情に、レンは少しだけ心配を滲ませた声で返す。だがイタチが口にしないことを無理に聞き出すようなことはせず、レンはにっこりと笑いながらもう一度最初の言葉を繰り返した。
「それより、おかえりって言ったんだけど?・・・返事は、イタチ?」
「・・・ただいま、レン。」
妙に迫力のある笑顔のレンに、呟くように言葉を返すイタチ。変わらない表情の中で、硬質な赤みを帯びた漆黒が僅かに和む。彼が、小言を聞き流すでも無視するでもなく拝聴して大人しく従うなど、一族や同僚の人間がみたら目を疑って自失するだろう程珍しい光景である。実力や忍としての才能には恵まれたが、人間性には多大な問題が山積していると評されるうちはイタチが、そんな風に接する相手などわずか数人しか居ない。その内の一人であるレンに対しては、イタチも素直に振舞う。どう繕った所でお互い無駄な事を良く知っているからだ。
「はい、おかえりなさい。今日もお疲れ様。
じゃあ救急キットを貸してくれる?補充するから。その間、お風呂入って着替える?
帰るのが面倒ならそのまま泊まっても良いし。寝間はいつもの客間ね。
お腹空いてるならすぐ夜食も用意するけどどうする?」
「ああ、そうだな、」
「どしたの?何かおかしい事言った?」
矢継ぎ早に問いかけるレンに、イタチの口元も綻んだ。
滅多に表情を変えないイタチの苦笑が珍しかったらしいレンが、言葉を止めて見上げてくる
「いや?お前は変わらないな、と思っただけだ。」
「は?」
そのあどけない表情に気が抜けて、今更疲労が蓄積された体が重く感じた。
アカデミー時代から変わらない少し幼げなレンの笑顔を見ていると、気を張る方がばかばかしくなるのだ。
そしてその笑みに、初対面の時怯えたように目を逸らした少女が、修行中の傷を放置して情けなくも発熱した事に気づいた時の怒りの表情を思い出す。自分のほうが怪我をした様な顔で怒りながらイタチの傷を治療して、ぶつぶつと小言を言ってイタチを無理矢理救護室に引っ張り込んだ。手際よく寝かしつける優しい掌に気を抜いて半日寝込んだイタチが目覚めた時に、傍で覗き込んでいた紅味を帯びた漆黒の瞳に驚いた。気がついたイタチに体温計を押し付けて熱を測り、平熱になっていた事を確認した時に浮かべられた満面の笑みが、ただイタチの回復に対する安堵だけだったことに、どれ程衝撃を受けたのか、レンは知らないのだ。
・・・レンがイタチに向ける視線に、”うちはの嫡子”も”うちはの天才児”も映らない事が、どれ程イタチに安らぎを与えたのか全く気づかず、変わらない笑顔で笑う。
本当に、こんな風に手放しがたい存在を作るつもりなど無かったのに。
レンの気遣いをありがたく受け取りながら、自嘲を隠して返事を返すイタチ。
「気にするな。・・では、お言葉に甘えよう。食事は要らない。ありがとう。」
「うん?あ、じゃあお風呂温めてくるね。
着替えは客間の箪笥に入ってるから。」
「ああ」
ぱたぱたと駆けて行く背中を見送って、客間に向かうイタチ。アカデミー時代は無かったが、下忍として任務に就く様になってから終了が遅くなった時など自宅に戻るのが面倒でそのまま互いの家に泊まりあうのが日常だった。だからうちはの家にも惣流の家にも着替えやその他の私物が置いてある。だが矢張り家人の要るうちはよりも、一人暮らしをしているレンや本宅ではなく離れやに自室を持つアスカの所に泊まるほうが圧倒的に多かった。
「・・・しかし、そろそろ不味いだろうか」
勝手知ったる、とばかりに殆どイタチの自室扱いになっている客間に入りながらぽつりと呟く。
特に己の血族に思うところがあり自宅すら敵地に近い感覚を持ってしまうイタチにとって、本当に気を抜けるのはレンの家とアスカの部屋だけなのだ。だからレンの好意に甘えて今でも頻繁に通ってしまっているが、幾ら幼馴染でも相手は女だ。自分にその気が無くても周囲はそう考えない。実際、アスカが最近レンの家に泊まるのを回避するようになったのは、それを意識し始めたからだろう。ならば、自分も遠慮するべきだったか、と思い立ったのだ。同時にこんな風に何気なく他人の恋路を心配して見せる自分に気づいて可笑しく思った。父や母に、今の内心を吐露したならば、きっと正気を疑って医師でも呼ばれかねないと思うほど、普段周囲に見せている自分とはかけ離れている事がとても可笑しかった。そんな己が、嫌いではないことが、何よりも可笑しいと、表情に出さずにイタチは笑った。
こうやって無表情を保つイタチに、もっと顔の筋肉を動かせと詰め寄ってきたもう一人の幼馴染の強気な笑顔を思い浮かべる。始めて会った時に忌々しげに睨んできた少年が、レンに仄かな想いを抱いている事を知っている。そんな他人の機微を気にする自分の変化に気づくたびに新鮮に思う。そんな”人間らしい”感情が備わっていたなんて、己を含めて両親すら考えもしなかったのに。
気づかせたのは二人の幼馴染で、下忍班の班員で、今では掛替えのない友人だなどと、最初は想像もしていなかったのだ。アカデミー時代、事ある毎に煩く関わろうとするアスカを忌避していた。スリーマンセルを組んでからも、多少は交流は持ったがそれでもあくまでただの班員でしかなかったのに。変わったのは、いつだろうと考える。
切欠は思い出せない。けれど、イタチを睨むアスカの視線が、酷く真っ直ぐだったから。アスカが負かそうとするのが、”うちはの嫡男”ではなく、アスカと対等の実力を持った”気に入らない同級生”でしかなかったから。
・・・アスカに見据えられるのが、嫌いではない自分に気づいた、その時が多分変化の瞬間だったのだ。
最近のイタチの楽しみが、アスカの一喜一憂する姿を見る事だなんて本人は知らないに違いない。素直になれずにからかいが過ぎてレンを怒らせるては後で肩を落とすアスカの姿は見ていて微笑ましいものだった。ついそんなアスカをまじまじと眺めては、八つ当たり気味に突っかかるアスカを宥めるのが実は楽しいのだなんて、
考えもしていないだろう。アスカとイタチがそうやって小さな諍いを起こすのを見て、喧嘩をするなとレンが怒る姿に、感じているのが二人と一緒に居る自分への安堵だなどと。
「不思議なものだ。」
「なにが?」
「っ、・・レン、か。」
突然背後から問いかけられて、本当に珍しいことにイタチが声を詰まらせた。
振り返る時には元の無表情に戻っていたが、当然気づいていたレンが目を丸くして見上げていた。その手にはタオルが抱えられている。
「ほんとにどうしたの。そんなに疲れた?」
「あ、ああ、そうだな。
・・・・いや、なんでもない。悪いな、では風呂を借りる。」
「ふぅん?じゃあ、お風呂入ったらそのまま寝てていいからね。救急キットは朝ごはんと一緒に置いておくから。
あ、朝早いの?」
「午前中は非番だ。」
「そ、なら私が仕事行く時間に合わせても良いよね。
起こさないからゆっくり寝てけば?」
どこか歯切れの悪いイタチの口調に、心配が不安に切り替わったらしいレンが、何気ない口調ながら休息を勧めてくる。余程疲れているのだと判断したらしい。イタチは少しだけ逡巡したが誤解をそのままに好意だけをありがたく頂戴する事にした。
「・・・そうするか。」
「うん、おやすみイタチ。」
「ああ、おやすみ。レン」
大人しく返事を返したイタチに一先ず安堵した様子でレンが調合室に向かう。これから頼んだ薬の用意をするのだろう。先ほどまで考えていた事の結論を先延ばしにする。・・・直ぐに結論を出せない事が、既に答だな、と笑いながらイタチは浴室に向かう。きっと、明日共に任務に就くことになっているアスカには不機嫌に睨まれて、詰め所で少しの小競り合いになるのだろう。それが後でレンの耳に入って二人揃って人前で騒がないようにとお小言を貰って、そのまま一緒に夕飯でも食べて。アスカが翌日の弁当でも強請って、了承したレンがまた三人で修行でもしようと言い出して、他愛ない話に興じて夜を明かす。
そんな心地の良い平穏に、もう少し浸かっていたいと思ってしまった。
この里で、うちはの嫡男として産まれた意味を思えば、きっとこれは許されない甘えなのだと、自覚しながら。
・・・・あの時の、自分の答を、今でも後悔できないことは、間違いだろうか、と考える。
明るすぎる月の光が照らし出す、里の闇の残骸を見下ろした。
立ち込める血臭。水滴の滴る音は全てが”里で最も尊い”と自称していた妄執の塊だろう。
深い夜の中で、それはただ黒い水にしか見えずに哂う。
倒れ付す影達に心を動かすほどの愛着をもてない事が、己の冷徹さを浮き彫りにする。
死に絶えた血族たちに、嫌悪しか抱けない事にも、何も思えないのだ。
なんて、薄情な。
けれど。
かたり、と背後で小さな気配が動く。
少しだけ口角を歪めて月光が作った影を見やる。
振り返った自分は、どれ程に冷酷な表情を浮かべられただろうか。
「愚かなる弟よ、----」
こんな茶番に、知らぬ内に巻き込んでしまうだろう、二つの特別を想った。
自分の人間としての心を、あの二人だけが、光に照らしてくれた。
この記憶だけがあれば、この身が泥濘に沈んでしまっても、”イタチ”という魂だけは残るだろう。
「十分だ。」
一度だけ、里を振り返り、そのまま闇に紛れる。
弟が、この命を奪いに来るのは、あと何年後だろうと考えて。
残されたのは、涼やかな夜の風だけ。
闇の中の惨劇を知らず、里の夜は更ける。
「・・・・イタチ?」
かさり、とゆれた気がした木立にレンは怪訝な声をかける。
けれど、そこには何の気配もなく、多分風が木の葉を揺らしたんだろうと室内に戻る。
何でイタチだと思ったのか疑問に思いつつ、連動してそろそろイタチに渡した救急キットの中身がなくなる頃だと思いついたから、その所為かと頷いた。思い出したなら今のうちに新しい物を用意しておこうかなと考えながら障子を閉めた。
何も変わらない、いつもと同じ夜だった。
少し月が明るくて、任務に出たアスカは大丈夫かと、思考に過ぎらせて普通に眠った。
何も、知らなかった。
変わらない明日が来ることを、疑ってもいなかったのだ。
そんな、夜だった。
*『物語前夜』一部目 →(うちはイタチ)→(碇レン)に続きます
*本編前の過去編
*レンと二人の幼馴染
*第一夜に少しだけリンクするレンの過去話
*レン以外のエヴァキャラが性別逆転して登場します
「・・・・・お前は、知ってたのか。」
無言で歩いていたアスカが、ポツリと呟いた。
自分には似つかわしくない、抑揚のない声音で。まるでイタチの口調が移ったようだと考えて、酷く胸が軋んだ。隣で揺れた気配に、レンも同じ事を考えたのだと知れる。直接レンの表情を確かめる事はせず、視線は遠く薄く曇った夜空に投げてレンに訊ねる。だが、レンの応えを待たずに言葉を続けた。
「知って、いたんだな。・・・・イタチが、行ってしまうこと」
沈む感情のままに目線を足元に落としていたレンが、ゆるりと瞬いてアスカに顔を向けた。
その口元に、いつでも湛えられていた優しい微笑みはなかった。ただ笑おうとして失敗した様に微かに歪んだ唇が、吐息の様に言葉を吐いた。
「そう、かな。・・・・そうかも。そうだね。
・・・・多分、イタチはいつか、一人で行っちゃうんじゃないかと、思ってたよ。」
確信のもてないあやふやな口調で呟いて、そこで初めて気づいたようにレンが更に言葉を続けた。音にしてしまってから、納得するように肯いて、唇がゆっくりと笑みを象る。先程よりもマシだったが、それでもいつもの表情には程遠い、寂しさと痛みを誤魔化すような苦い笑みだった。
「きっと、誰にも何にも言わずに、一人だけで全部決めて、
・・・・手が届かないトコまで、行っちゃうんじゃないかと、思ってた。」
言いながら、手のひらを空に翳すレンが、虚空を緩く握り締める。
「・・・私じゃ、・・私達じゃ、届かないところに、・・・いつか、行っちゃうんじゃないかと、」
力なく落とされた拳が、白い軌跡になって、アスカの視界に焼きつく。月も星も見えない暗い闇の中で、レンの腕の白さだけが鮮やかだった。黒髪に隠された目元が、見えない事だけが救いだった。
いつでも優しくアスカを、イタチを、見守っていた深紅の瞳が濡れていたら、決定的な何かが壊れてしまう気がした。だから、暗い色調のなかで、唯一外気に晒されていた腕の白さだけを目で追って、いつの間にか止まっていた歩みを再開させた。
「きっと、ずっと、そう思ってた。」
静かな空気を揺らす事を恐れるように、微かな声で呟いたレンが、アスカを振り返る。視界の端にそれを見ながら一歩先に歩き、レンを追い越す。闇に溶けるような漆黒の髪を見下ろして、上がりそうになった手のひらを握り締めた。きつくきつく、短く整えられた爪が、白い手のひらに赤い筋を刻むほどに、強く。
乱暴にその髪をかき回して、明るく笑って見せる事は出来そうになかった。
いつだって自分たちがそうしてきたように。
落ち込んだレンに他愛ないからかいを投げては沈んだ空気を払うのは自分の役割だったのに。悔しくて血がにじむほどに握り締めた手のひらを、そっと包んで開かせてくれたのは、レンの役割だったのに。言葉少なに確信を突くことで、もやもやと胸を巣食う苛立ちやもどかしさを晴らしてくれるのは、ずっと、イタチの、
「・・・・役目じゃなかったのかよ。バカヤロー」
口の中で吐き捨てる。
様々な感情が激しくうねっては胸の奥を焼いた。呼吸が阻害されるような感覚。震える息を死に物狂いで宥めて、声を平静に保つ。堰を切ってしまえば、只管に全てを傷つけてしまいそうだった。
・・レンを、酷く壊れてしまうまで、傷つけてしまいそうだった。
そこまで、レンに甘える事を、己に許す積りはなかった。けれど。
「お前は、それを受け入れるのか。」
微かに震えた語尾が、アスカの葛藤を示す。レンには気づかれただろう。けど、一度言葉にすれば止まらなかった。これ以上は駄目だと囁く自分をねじ伏せて、拳を振り上げるように語気を強めた。
「どうして、そうやって、イタチを許すんだ。お前は、悔しくねぇのかよ!」
青い瞳をぎらぎらと光らせて、獣のように獰猛に吼える。保とうとした平静さは、言葉の途中で決壊して荒れ狂う感情を吐き出す。自制しようとする理性はもう働かなかった。痛みを堪えるようなレンの表情を、きっと誰より正確に見分けながら、アスカは続けた。最後の一線だけは越えない事だけを己に課して、それでも全てを堪えることは出来なかった。
「アイツは、イタチは、・・・里を、・・・俺達を、捨てたんだぞ!!」
その瞬間、辛うじて浮かべられていた苦笑すら、消えた。
深い深い紅の瞳が、凍りついたように固まる。
守ると決めていた少女を、自分たちを守ってくれていた少女を、己の言葉が傷つけた。その自覚が更に激情を生んで、循環する負の感情が頭の中をぐちゃぐゃにかき回す。どうしようもなくて、ただ自分の為だけに、怒りを吐き出す。
「お前は、そうやって、何でも許すつもりかよ!?
イタチは、俺達を、捨てたんだぞ。わかってるのかよ?!
・・・・俺達は、イタチに、捨てられたんだ!!」
本当は、そうじゃないと分かっていた。
イタチにとって、今の優先順位が自分たちじゃなかっただけで、本当に切り捨てられたわけではないと、分かっていたのだ。ただ、何一つ告げずに一人で行ってしまったイタチへの悔しさと寂しさを、どうにか誤魔化したかっただけだ。分かっていたのに。
「・・・・何でもかんでも笑って受け入れて。そんなの優しさでも何でもねぇよ。
お前のそれは、只の惰性だ。どうでもいいから、何されても受け入れられるんだよ!
・・・・・そんなの、拒絶とどう違うってんだ!」
叫んだ瞬間、鋭く息を飲んだレンが、強く両手を握り締めた。
凍ったままの瞳が軋んで、唇が戦慄いた。そのまま、泣いてしまえ、と思った。
白い頬から色味が抜けて、青くすら見える顔色を見て、そのまま泣いてくれれば、理由が出来るのに、と思った。泣かないならば、怒りでも良かった。激情に任せて酷い事を言ったアスカに、レンが怒ってくれれば良いと思った。そうしてくれるなら、泣くレンを慰めるために、怒るレンを宥めるために、その華奢な身体を、抱きしめる事が出来るのに。何時からか、気安く触れる事が出来なくなった彼女に、躊躇うことなく触れることが、許されるのではないかと、思ったのに。
「・・・そう、そう、っか。そうだね。・・・・ごめんね、アスカ。」
レンは、笑った。
穏やかに、美しく。花が綻ぶように、鮮やかに、優しく。
「そうだ、ね。ごめん、ね」
ふんわりと、静かに。
闇に、溶ける様に、姿を眩ませた。
里で唯一、イタチと並び立つと称されたアスカにすら追いきれぬ滑らかな動きで。
一人残されたアスカは、震える手のひらで顔を覆った。
最後にレンが残した優しい微笑を消してしまいたくて強く瞼を閉じる。
「-------っ!」
いつもいつも、傷ついたアスカを、疲れた心を持て余すイタチを、優しく受け入れて癒してくれた時のままの、レンの笑顔。その笑顔が、これほどにアスカを痛めつけるものだなんて、知らなかった。
知りたく、なかったのに。
もう、戻れないのだと、知った、夜。
全部、自分の弱さの所為だったけれど。
スレナル設定でお送りいたしております。
更に注記:このシリーズは、ナルト×碇レン傾向基本のお話です。
苦手な方はご覧にならぬよう、お願いいたします。
幼い頃のイノ・シカマル・チョウジにとって、世界に必要だったのはお互いと辛うじて両親を含めた8人だけだった。3人は互いが共にあれればそれだけで良いと思っていたし、それ以外はただ義務として守らなければならない対象でしかなかった。
里も生まれた一族も大切なものだとは理解していたが、実感はしていなかった。
忍の義務を果たす覚悟はあったが、里に対する愛着はなかった。
必要に応じて他者との協力の必要性は分かっていても、信頼も信用もしなかった。
なまじ高い能力を有していた為に、それが許されてしまっていた。
両親や火影は三人の在り様を危ぶんでいたようだが、何が悪いのかはわからなかった。
ずっとそのまま生きるのだと思っていた。義務さえ果たせばそれでいいと考えていた。
・・・それを変えるきっかけをくれたのは、眩く気高い金色と、深く優しい漆黒だった。
小さな世界しか知らなかった幼い子供はもう居ない。
自分の意思で未来を選んだ子供たちが、今を笑って生きている。
+++
さてアカデミー新卒業生班分け翌日。
爽やかな春の風が吹く気持ちの良い広場にて、三人の子どもが苛立ちながら一人の大人に食ってかかった。
曰く。
「「「遅い!!!」」」
「先生!いま何時だと思ってるんですか!
(ふざけんな!しゃー!んなろー!乙女の貴重な時間をなんだと思ってんのよ!)」
「朝六時集合つったの誰だってばよ!
朝飯抜きでこんな時間まで待ちぼうけってどういうことだってばよ!」
「フン・・・、ウスラトンカチが。」
まあ、朝六時集合の筈が、待てど暮らせど担任は現れず。空腹も手伝い苛立ちが最高潮に達した4時間後。既に太陽も中天にかかりかける時間になってようやく現れた担任が、罪悪感の欠片もなくのんきに挨拶などしてきたならそれも当然だ。だが子ども達の抗議など柳に風と聞き流す担任である畑カカシ。しかもマイペースに演習の説明を始める。全く堪えてないカカシの姿に三人は諦め混じりの吐息をついて説明を聞く。ようやくサバイバル演習の始まりである。
「よし、12時セット完了!」
おもむろに目覚まし時計を取り出してセットするカカシ。子ども達は疑問符を浮かべてそれを見ている。次にカカシが取り出したのは二つの鈴だ。大人しく説明を待つ三人に淡々と話す。
「ここに鈴が二つある。これをオレから昼までに奪い取ることが課題だ。
もし昼までにオレから鈴を奪えなかった奴は昼メシ抜き!
あの丸太に縛り付けた上に目の前で俺が弁当を食うから。」
それを聞いて空きっ腹を抱えて嘆息する三人。鳴り響く腹の音が空しい三重奏を奏でる。
意外と律儀なナルトも涙を飲んでレン作成の美味な朝食を諦めて出てきたというのに、下らない罰ゲームに半眼になった。余り喜怒哀楽を表情に出したがらないサスケも眉をしかめて空腹に耐えている。サクラはあからさまに嫌そうな顔をした。
「鈴は一人一つで良い。2つしかないから・・必然的に一人丸太行きになる。
・・で!鈴を取れない奴は任務失敗ってことで失格だ!
つまりこの中で最低でも一人は学校に戻ってもらうことになるわけだ・・・」
ナルトは表情を取り繕いながら、少しだけカカシの言い様に感心した。
流石下忍担当教師。子どものツボを心得ている。今の一言で確実にだれていた空気が締まった。サクラとサスケの気合が伝わる。巧みな演技で合わせながら面白そうに目を煌めかせるナルト。これなら二人を合格させるのは楽そうだ。
「手裏剣も使っていいぞ。
オレを殺すつもりでこないと取れないからな。」
「でも、危ないわよ先生!」
そこでサクラの抗議が入る。
互いの実力差を見極める目を持たない下忍らしい反応である。
「そうそう!
黒板消しもよけらんねぇようなどんくせー教師じゃ、本当に死んじまうッてば・・・よ!」
サクラに便乗するように笑っていったナルトはそこでいきなりクナイを投げる。いきなりの行動にサスケも僅かに目を見張る。不意打ちされたカカシは下忍では追い切れない速さでナルトの背後に回って受け止めたクナイを突き付けた。それを見て唖然とするサクラ。上忍の実力の一端に驚嘆するサスケ。落ち着き払ったカカシは話を続けた。
「慌てんなよ。まだスタートとは言ってないだろ。
・・・しっかし先制攻撃で不意打ちとはね。意外と冷静じゃないかナルト?」
「へへ!ったり前だってば!俺はこんなとこで躓くつもりはないんだってばよ!
大体上忍のカカシ先生が、下忍の俺らの攻撃くらいで死ぬわけねーってば。」
ナルトの台詞にハッとするサクラ。今の攻撃は先の自分の抗議に対する実演付きの答えだと知る。サスケも昨日の宣言に続いての意外な一面に、ナルトの評価を少しだけ改める。成績は確かにドベで騒がしい奴だが、それだけの人間ではないようだ。カカシの視線にも感嘆が混じる。急所に武器を突き付けられても本気で怯えてはいない様子にも感心する。
「(ドベだと聞いてたんだがな
・・教師が生徒を殺せないと思っているからか?それでも良い度胸だ。面白い。)
ククク・・・なんだかな。やっとお前らを好きになれそうだ。
・・・じゃ、始めるぞ!・・・よーい・・スタート!!」
号令と同時に三人が姿を隠す。
「忍びたるもの--基本は気配を消し、隠れるべし」
という基本を忠実に守ったわけだ。だが、上忍相手に下忍が完璧に隠れるなど不可能。いくら手加減してるとはいえ、隠れるだけ、では時間の浪費だ。ならどうするかが勝敗の鍵を握るわけだが
「って、わけで!いざ!尋常に勝負!」
叫びながら牽制の手裏剣を投げてカカシに突撃してみせるナルト。
事前に聞いた前評判通りなら、そうなると予想していたのであっさり攻撃をいなす。
「(予想通り・・・が、さっきの事がマグレじゃないなら、なんかしてくれるかな~?)
お前ね・・・ちょぉっと、ずれてるとは思わない?」
「先生の髪型ほどじゃないってばよ!」
反論しながらポーチからクナイを出してカカシに切りかかる。手甲で受けるカカシ。
スピードは遅くない。身のこなしも下忍としては中の上。手放しで良いと評価はできないが、別段悪いというレベルではない。成績がドベと言うのは知識面で足を引っ張ったのかと思いつつナルトを投げ飛ばすカカシ。
「あんま舐めてると、痛い目見るってばよ!」
投げ飛ばされる瞬間手の中のクナイをカカシの足もとに投げる。
単純に狙いが外れたかと思った瞬間、クナイが眩い閃光を発してはじけた。
「な・・・!!(くっこれは本当に予想外!)」
流石に驚いたカカシが咄嗟に目を庇うと、ナルトの気配が近づく。
完璧に位置を把握して瞼を覆ったまま向きを変えたカカシの前で、気配が、増えた。
「忍法!影分身の術!」
(これ一つでも高等忍術を使えるってのはかなりマシか。ある意味ミズキに感謝だな。)
「へぇ。分身じゃなく影分身か。残像ではなく実体を複数作り出す術・・・
(これはミズキの一件で持ち出された封印の書の禁術か。
閃光弾を仕込んだクナイといい、本気で評価を改めるべきかな。)
・・けど、まだ甘いね。今のお前じゃオレはやれない・・」
言いながら複数方向から繰り出されるナルトの体術を流す。次々消される分身。
その攻防を見て焦りと驚きを浮かべたのは隠れているサスケとサクラだ。
まさかドベのナルトが、自分達の知らない術を使い、いなされたとはいえ的確に計算された攻撃を繰り出すとは。
「・・大見得切っても所詮はナルト・・・ってなにぃ!」
内心を隠して挑発するカカシの言葉が途切れる。
主に前方に集中していた影分身に気を取られたカカシの背後に生れた気配。
影分身に囮をさせたナルトがカカシの背後をとったのだ。
「だから言ったってばよ!忍者は後ろ取られちゃ駄目なんだろ!」
得意げに笑うナルトに一瞬本当の表情を晒すカカシ。ナルトはカカシを押さえたまま影分身に攻撃をかけさせる。それを見たサスケとサクラも素直に感心して見守る。うまく成功するかと思ったが、そうは問屋が卸さない。
「いってーーーー!」
影分身が渾身の力で殴ったのは、同じ影分身だったのだ。
「ちっ!変わり身かよぉ!」
(ま、こんなもんだろ。
とりあえずドベのナルトでも、戦闘が出来ないわけじゃないって
ことをアピールできればOKっと。)
作戦が失敗して悔しげに地団太を踏んでみせるナルト。
取りあえず当初の目的のうち一つ目を達成したのだから一回引くことにする。
言葉の端々に、完全な無知ではないことも滲ませる。
「クソー!後ちょっとだと思ったのに!」
(さて目的その2の下準備は成功するかな?)
頭上の枝に乗ったままナルトを見下ろすカカシは、本気で感心した口調で言った。
「ってか、お前本当に意外だねー。
猪突猛進に見えて細かい計算もしてるみたいだし。こりゃただのドベとは言えないな。
・・ま!つめはまだまだ甘いけどね!」
「うわ!何の真似だってばよ!降ろしやがれーー!」
言い終わると同時にナルトを縄で逆さ吊りにするカカシ。滅茶苦茶に暴れるナルト。その子供っぽい姿にサスケとサクラの力が抜ける。
「舐めてかかると、痛い目見るってば。・・なんだろ?
油断しちゃ駄目だぞナルト。じゃ、このあともそれなりに頑張れよーー」
ナルトの宣言をそのまま返し、気のない声援だけを残して移動するカカシ。憤懣やるかたない様子のナルトを横目に、サスケとサクラはその姿を追う。自分はどうしかけるか、と緊張する二人を余所にカカシは木の下に座るとおもむろにポーチから書物を取り出した。何かの術書か、と目を凝らす三人の目に映った表紙には、「いちゃいちゃパラダイス」という文字と成人指定のマークが。緊張が脱力に変わる。
「「「(どこの世界に任務中成人指定小説なんぞを読む教師が居るんだ!
こんのウスラトンカチが!)」」」
今まで一度も足並みの揃ったことのない三人の心境が奇跡の一致を見せた。目の前では締まりのない顔で桃色小説を熟読するカカシ。表裏共に本気で呆れるナルトと、力いっぱい項垂れるサクラ。が、此処で今期アカデミー最優秀者の意地をみせたサスケ。
「(・・だが、これはチャンス!隙を見せるのを待ってたぜ!)」
座り込む瞬間のカカシにクナイを打ち込む。三人の目前で血を噴いて倒れるカカシ。驚き慄くサクラと、慌てる表情を見せながら双方がどうでるか観察するナルト。攻撃成功を確信したサスケは次の瞬間悔しげに口を歪めて飛び退る。
「(変わり身か!
クナイから位置がばれたな。・・・あれは罠かよ!ざまあねぇ)」
倒れかかるカカシが丸太に変わる。あからさまな隙はこちらを誘う罠だと悟り自嘲する。
そのサスケ失敗を見て慌てて手助けに走り出すサクラ。
自分一人では無理でも、サスケと協力し合えば合格できるかもしれないという計算も働く。
同時に見下していたナルトの意外な実力への焦りもあった。このままでは自分だけが不合格になるかもしれない。消せない不安に常より動作が荒くなる。途中木の葉を派手に揺らしてしまう。慌ててカカシを探るが微動だにしないと知って安堵する。だから背後からの声に無防備に振り向いた。
「サクラ。」
「え?」
目の前には、今当に駆け付けようとした愛しいサスケの変わり果てた姿が。切り刻まれた身体から流れ出る血が地面を染める。擦れて聞き取りにくい声で名を呼ばれた。動かしずらい手を必死に伸ばすサスケを完全に認識した途端サクラは
「ぎゃ・・・ぎゃあああああああ!!」
絶叫を上げて卒倒した。
「(サクラか・・・・あいつ本当に成績優秀だったのかよ?
なんであんな音たてて本気で見つからないと信じられんだよ。)」
さくさくと影分身と入れ替わり残り二人の様子を見にきたナルトが内心呟く。幾ら下忍とはいえ、些か問題じゃないのかと思いつつ嘆息した。それはカカシも同じだったようだ。
「いやーここまで上手くかかるとは思わなかったんだけど・・・
下忍候補生にいきなり幻術はきつかったかなぁ?
ま、いいか。しかし、色気がないなぁ。・・」
むしろ問題はお前だと言いたいナルト。まさか本気ではなかろうが、セクハラ発言はやめてくれないだろうか。聞いていて微妙な気分になる。さしあたっては、レンをこいつに近づけるのだけは絶対阻止だと思いながらサスケの方へ移動する。例え冗談だろうと、セクハラ紛いのセリフなどレンの耳に入れるつもりは毛頭ない。万が一そんな事態になったら、言葉が終わる前にカカシを潰すだけだが。ヒナタやイノが聞いた日には、半分どころか9割殺しにかかるだろうなと考えて少し涼しい気分になった。
「(ま、そうなったらなったで自業自得だけどなー。
・・・・しかし腹減った・・・・早く終わりやがれー・・・)」
涙を飲んで背を向けた朝食を思って切ないため息を吐くナルト。
イノ達が泊まり込み人数が多い為、いつもより品数が多かった食卓。
頬を緩めて夢中で食べる友人たち。・・それらを頭に思い浮かべて拳を握る。
「(くっそー。これで昼まで食いはぐれたらカカシの野郎を影でボコる。
レンー。昼は野菜煮込みラーメンと炒飯と卵スープがくいてぇなー。
ついでにデザートは杏仁豆腐でよろしくー。)」
切なさのあまり電波を飛ばしてみる。流石にリクエストの為に鳥を飛ばすことは自重したが。
「(まあ、アイツの作る飯はなんでも美味いからいいけどな。
・・・本気で早く終わらそう。うっかりカカシを手加減なしで殴ったりしないうちに。)」
無意識で惚気て、演習に意識を戻す。
・・・締めに呟いたナルトの言葉に突っ込める人間は不幸な事にいなかった。
つくづく食べ物の恨みは恐ろしいものである。
++++++++
「・・あれ?」
「どうしたんですかレンさん?何かありました?」
順調に演習を終わらせて帰ってきたイノ・シカマル・チョウジと4人で買い物に出ていたレンが、道の真ん中でふと空を見上げて呟いた。今日のお昼と夕飯は何がいいかと話していたのを中断してさり気なく辺りを窺うシカマルとチョウジ。二人の動作から気を逸らす為に殊更にこやかにレンを覗き込むイノ。
「(またどっかのストーカーの視線でも感じたのかな?)」
「(伝令鳥の呼び出しはねぇ筈だからな。おかしな気配もないみたいだけどな。)」
どんな些細な事からでもレンを危険から遠ざける、というのが彼らの不文律である。
例えばレンに告白しようとする身の程知らず。
例えばレンに懸想してストーカー行為に及ぶ変質者。
例えば有能なレンを妬んで難癖をつけに来る暇人共。
その他諸々、平穏な日常を送る為には不要な輩が多すぎる。
そんな不届き者如きにレンの手を煩わせるな、という共通認識のもと闇から闇へと葬る子ども達。同時に、その活動をレンには悟らせてはならない、というのも不可侵の掟であった。
「あ、ううん。ごめんねイノ。そうじゃなくて、
・・・えーっと、今日のお昼は野菜煮込みラーメンで良いかな?
あと炒飯と卵スープとかどうかなって。そうするとデザートは杏仁豆腐が合うかな?」
「はい!勿論オッケーです!中華系は久しぶりですね~♪
じゃあ、足りないのはー・・・」
「チョウジとシカマルもそれで良い?」
「「はい」」
何事もなく視線を下に戻して笑うレンの表情に、憂いが無いことを確認して安堵する三人。
レンの腕にじゃれ付きながら歌うように答えるイノと、声をそろえて返事を返すシカマルとチョウジ。彼女の提案に否やがあろうはずもなく快く同意して買い物の内容を決める。ほのぼのしい幸せ家族の一コマであった。
「ところで何でいきなりラーメンなんですか?」
「ああ、うん・・う~ん?
・・・なんとなく、それにしなきゃいけない気がした?」
++++++++++
先ほどの広場からは少し離れた木立の合間に佇むサスケ。突然聞こえた絶叫に振りむく。
「・・・今の声・・(サクラか・・・)」
気づいても動揺はない。サスケには己が同級生達とは一線を隔した実力があるという自負がある。だから、背後に現れたカカシにも静かに相対した。
「忍戦術の心得その2。幻術・・・サクラの奴簡単にひっかかっちゃってな・・・」
「(幻術か・・・・あいつならひっかかるのも無理ねぇな・・・しかし・・・)
俺はあいつ等とは違うぜ・・・・」
吹き抜ける風が木の葉を散らす。静かな場に緊迫感が満ちる。カカシも、サスケにはあからさまに気を抜いた様子は見せずに向かい合った。それでも手から文庫本を離さないのはある意味見上げた根性だったが。
「そういうのはスズを取ってからにしろ。
・・里一番のエリート、うちは一族の実力・・・楽しみだな・・・」
正面から向き合う二人。間。・・・そして始まる攻防戦。
まずは、とばかりにサスケが手裏剣を放つ。当然その位は軽くよけるカカシ。
「バカ正直に攻撃しても駄目だよ!」
それを見て口角を上げるサスケ。
よけた手裏剣が隠されていた縄を切る。その音に気づくカカシ。着地した場所を正確に射抜くトラップに仕込まれた小刀。これもまたよけるが、そこをサスケが体術で追撃した。鮮やかに繰り出される攻撃にカカシも文庫本をしまって両手で防ぐ。両手をふさがれた一瞬を狙ってサスケが鈴を狙う。流石のカカシも、一瞬焦って距離をとった。
「(・・・なんて奴だ・・・「イチャイチャパラダイス」を読む暇がない・・・)」
まさか下忍相手に上忍の実力を出す訳はないが、手を抜きすぎてここで鈴を奪われたら試験の意味がない。カカシも素直にサスケの実力に感心した。そして木陰に隠れて様子を窺うナルトも同じようにサスケの攻撃を見守る。
「(へぇ、さっすがうちはのエリート・・・天才、の名は伊達じゃないってか。
・・・けどなぁ・・・・)」
そう、確かにサスケの実力は下忍としてなら破格のものだ。だが、・・・
「(下忍、としてだけなら十分なんだけどな・・・・。)
ま、あの二人と違うってことは認めてやるよ!」
カカシの賛辞にも浮かれず真面目な表情で次の攻撃に移るサスケ。手早く組まれた印と正確に練り上げられたチャクラ。
「フンッ・・・(馬・・虎ァ!・・ 火遁!豪火球の術!!)」
これには本気で驚愕するカカシ。
「な、なにぃ!!(その術は下忍にできるような・・チャクラがまだ足りない筈だ・・!)」
そして繰り出される巨大な炎。勢いよく目の前の地面を抉ってクレーターを作る。やったか、と目を凝らすサスケだが・・
「・・(いない!・・後方・・いや上か!?・・何処だ?!)」
残された空のクレーターによけられたことを知って慌てて周囲を警戒するサスケ。だがカカシの居場所は分からない。気配だけではなく視線も彷徨わせる。
「下だ。」
「!!」
静かにかけられたカカシの声に驚いて足元見やる。が、
「土遁心中斬首の術・・忍戦術心得その3!忍術だ。」
あっという間に地中に引きずり込まれて生首状態にされるサスケ。憮然、と見上げる先には余裕面のカカシが、変わらずにヤル気のなさそうな表情で自分を見下ろしている。
「・・・に、してもお前はやっぱり早くも頭角を現してきたか。
でも、ま!出る杭は打たれる、っていうしな。ハハハ!」
声だけは愉快そうに笑うカカシに苛立ちを募らせるサスケ。再び手にした文庫本を読みながら立ち去る背中を睨みつける。上忍との実力差に本気で歯噛みしているようだ。ナルトもサスケの術の完成度には感心する。が、サスケの問題はそこではないのだ。
「(・・・・自分が下忍だって頭では理解してるっぽいんだけどなー。
本気で真正面から上忍に仕掛けて勝てると思い込んでるあたりが馬鹿正直すぎるっつーか。
・・・・一族唯一の生き残りってんで大事にされ過ぎじゃねぇのか?
血継限界保持者があの猪突猛進っぷりは不味いと思うんだよな・・・。
相手との実力差の見極めとか、引き際の心得方とか、その辺を教える奴はいなかったのかよ。)」
つまり、自分の実力が優れているという自負があるせいか、今一相対的な実力差を見落とし勝ちなのが当面第一の問題なのだ。今のサスケの様子を見るに、相手が里の忍だから大丈夫だと考えた上で向かったわけではない。サスケにとって相対した敵は、すべからく倒すべきものなのだ。そして、己ならば全ての敵を倒すことが出来ると信じ切っているのが伺える。下忍なりたての子どもにはよくある微笑ましい自信である。一般の下忍ならそれでも良い。これから教師が少しずつ教えて行けば良い話だからだ。しかし、サスケがそれではまずいのだ。
これが里内の試験で相手が教師だから良いのだが、もしも他里の敵相手にも同じように向かって行くような事があったりしたら不味いどころの話ではない。里に属する忍の術を他里へ漏らす位なら、その術を使う人間を殺してでも秘密を護るのが忍の里である。数年前の日向一族の問題と同じだ。いくらうちは唯一の生き残りといっても、万が一サスケが他里に捕まるような事があったら最悪ナルトやカカシが手を下さなくてはならない可能性もある。そのための護衛でもあるのだ。本来なら一族の先達者がそういった事情を教え込む筈なのだが・・・
「(やっぱ、うちは唯一ってのがネックか。
日向あたりに預けるって話も出たって聞いたけど・・・結局お互いに秘密が露見する方が問題だってことでぽしゃったんだよな。 で、うちは一族以外で、サスケに写輪眼の扱いを教えられるのはカカシだけっと。サスケ本人も頑な過ぎて視界が狭くなってるし・・
・・これ全部おれが解決すんのかよ?・・・・うがぁ~~~!めんどくせぇ!
余計な隠し事すっから後々問題が山積すんだっつぅの!)」
里内でもそれぞれに秘密を守る役割がら柵も多く、そのしわ寄せがきている、というわけだ。ナルトでなくても頭を抱えてしまいたくなる。
そしてカカシにも問題がないわけではない。カカシ個人は悪い人間ではない。忍びとしての実力も申し分なく、教師としても悪くないと思う。今までの彼が行った下忍選定試験のテーマが「チームワーク」であることを考えても、木の葉の里に所属する忍の中では嫌いではない方に属する珍しい人間だった。
「(カカシもなぁ・・・。
偏見とか無いみたいだし、俺の事を九尾と同一視するとか、
ドベだから人間性ごと否定するとかしないし、嫌いじゃねぇんだけど・・。
・・・まぁいいや。とりあえず今はこの試験だろ。
・・・サスケもサクラもそろそろ気づいたかな。)」
サスケがやられたのを見てさっさと本体と入れ替わるナルト。とりあえず目前の問題だと縄を切って木陰の中に潜んで思考を打ち切る。それぞれの戦闘中に仕込んだ仕掛けに二人が気付いたなら、こちらに向かってくるはずだと場所を移動する。
「(さってと、さくさく試験を終わらせて帰るか!今っ日の昼は何かな~♪)」
制限時間まで一時間を切った時計を横目に見つつ鼻歌交じりに歩くナルト。
誰も見ていないのを良い事に、その姿は小憎たらしい程に余裕であった。
で、
「あっれ~?
ナルトなら、誰も居ないうちに弁当を取りに来るかなと思ってたんだけど・・・・」
丸太の前には、少し宛が外れて肩すかしをくったカカシが日差しの下で佇んでいた。
「(・・・そういや、この暖かい気候で弁当を日光に晒して二時間とか
・・普通に腐るんじゃねぇの?)」
・・・それは実際食べてみた時のお楽しみ、という事で。
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